講演情報

[2R0301-01-01]中間世界を深化するイタリアの臨床研修を通して
− コミュニケーション行為のリハビリテーションを再考する −

*林田 佳子1 (1. 無所属)
コミュニケーション行為の過去の経験とは,誰に「何と言ったか(発話したか)」ではなく,誰と「何について話したか(対話したか)」ではないだろうか.
 今回,サントルソとピサにある認知神経リハビリテーションセンターで成人の言語療法と運動療法,小児の運動療法の臨床場面を見学した.患者の生きる世界を深化するために,具体的に,明瞭に,厳密に,緻密に想起される経験の提示は,セラピストが規範をもとに仮説検証を繰り返す中にあるものと感じた.
 これまでの私の臨床経験からコミュニケーション行為の回復とは,言語・非言語を多彩に組み合わせ,同調や経験に即した文脈から“あらゆるわたしの振る舞いを選択する”ことと提案してきた.
 イタリアでの臨床場面でも,言語・非言語の情報を調整し解読を求めることで,産出に至る前の「言語」を創発することが重要視されていた.一方,課題の難易度は複雑な視覚・聴覚情報の提示がなされ,患者に気づきがあるか,セラピストの意図を解読できるかを“意識的に”できているか,が重要視されていた.患者の経験の惹起に向けて課題の難易度を調整し展開される中で,患者から過去の経験をもとに自然と「言語」が溢れ出る場面を垣間見ることがあった.
 これは,混沌とした世界の中で生きる患者に,セラピストが具体的な経験を提示することで現実の行為を導くことに繋がっていると考える.また,誰とどのような環境でコミュニケーションをとったかという「記憶」や,ありありとした鮮明な「イメージ」を想起することで,適切な方略を再学習することにセラピストと患者の志向性が求められる.そのためには,提示する情報の全体性と部分を,多数の具体的な経験の想起から関連づけることが必要といえる.これらの情報の具象性と抽象性を自らの思考と他者との関わりの中で行き来し,経験を更新し続けることが中間世界を深化することに繋がるであろう.
 イタリアでの臨床研修で得た学びを念頭に置き,コミュニケーション行為の再学習に向けて皆さまと議論を研ぎ澄ます場としたい.