講演情報
[1R0101-01-01]見えないものを観る ~行為と認知のVisualization~
*大松 聡子1 (1. 畿央大学ニューロリハビリテーション研究センター/ 株式会社デジリハ)
「回復とは学習である」この言葉は、認知神経リハビリテーションにおいて長く大切にされてきた。対象者は失われた機能を取り戻すだけでなく、行為を学習し直すプロセスを経て生活を再構築していく。その過程をどのように理解し支援するかは、私たちの大きな問いです。
たとえば半側空間無視の患者は単に「左側を探索・反応できない」だけでなく、その背景には身体失認や病識の問題、持続性注意の低下、抑制の低下など要因が絡み合い、行為の失敗や行動パターンを形づくっている。こうした患者の行為の背後にある認知プロセスに注目しなければ、リハビリテーションは「できないことを繰り返す訓練」に陥りかねない。むしろ「どのように世界を知覚しているのか」「どのような戦略を用いているか」を理解することが、新たな学習の出発点となる。
私たちが臨床で行っている「観察」は、単に行為の記録ではなく、仮説を立てて検証する連続的なプロセスである。重要なのは、具体的な介入の方法が環境によって変わっても、この観察の視点そのものは普遍的であるという点である。観察はどの環境においても対象者理解の基盤となりうる。だからこそ今回の学術集会のテーマに据えた。
私はこれまで、視線計測や脳画像、反応課題を用いて、視野や視空間認知の障害、代償戦略に関する研究を行ってきた。また現在は、デジタルリハビリツールの開発を通じて、表出が少ない対象者の行動特性や興味関心をデータとして可視化し、新たな可能性を引き出す取り組みを進めている。これらはいずれも「見えないものを観る」ことで新たな可能性を模索するという点で共通しており、私の大きな関心事項となっている。
本講演では、①"目に見えにくい"要素がどのように回復に影響するのか、②それらを可視化できることと限界点を整理した上で、③見えないものを観ようとする姿勢──観察者として持つべき視点と問い──これらを中心に議論を展開する。
リハビリテーションの本質は、目に見える機能回復だけでなく、その背後にある認知・感情・経験、つまり人そのものに目を向けることにある。科学的手法と技術によって「観える」ものを拡張しつつも、対象者の語りや行為が構成する固有のナラティブを、その文脈性と多層性において理解しようとする専門職の視点が求められる。
本講演を通じて、皆さんとともに「見えないものを観る」ための視座を共有し、未来のリハビリテーションの新たな地平を切り拓くきっかけとできれば幸いである。
たとえば半側空間無視の患者は単に「左側を探索・反応できない」だけでなく、その背景には身体失認や病識の問題、持続性注意の低下、抑制の低下など要因が絡み合い、行為の失敗や行動パターンを形づくっている。こうした患者の行為の背後にある認知プロセスに注目しなければ、リハビリテーションは「できないことを繰り返す訓練」に陥りかねない。むしろ「どのように世界を知覚しているのか」「どのような戦略を用いているか」を理解することが、新たな学習の出発点となる。
私たちが臨床で行っている「観察」は、単に行為の記録ではなく、仮説を立てて検証する連続的なプロセスである。重要なのは、具体的な介入の方法が環境によって変わっても、この観察の視点そのものは普遍的であるという点である。観察はどの環境においても対象者理解の基盤となりうる。だからこそ今回の学術集会のテーマに据えた。
私はこれまで、視線計測や脳画像、反応課題を用いて、視野や視空間認知の障害、代償戦略に関する研究を行ってきた。また現在は、デジタルリハビリツールの開発を通じて、表出が少ない対象者の行動特性や興味関心をデータとして可視化し、新たな可能性を引き出す取り組みを進めている。これらはいずれも「見えないものを観る」ことで新たな可能性を模索するという点で共通しており、私の大きな関心事項となっている。
本講演では、①"目に見えにくい"要素がどのように回復に影響するのか、②それらを可視化できることと限界点を整理した上で、③見えないものを観ようとする姿勢──観察者として持つべき視点と問い──これらを中心に議論を展開する。
リハビリテーションの本質は、目に見える機能回復だけでなく、その背後にある認知・感情・経験、つまり人そのものに目を向けることにある。科学的手法と技術によって「観える」ものを拡張しつつも、対象者の語りや行為が構成する固有のナラティブを、その文脈性と多層性において理解しようとする専門職の視点が求められる。
本講演を通じて、皆さんとともに「見えないものを観る」ための視座を共有し、未来のリハビリテーションの新たな地平を切り拓くきっかけとできれば幸いである。
