講演情報
[SY-09]冗談が言えるということ
*宍戸 加奈美1 (1. 函館稜北病院)
本学術集会のテーマは『見えないものを観る〜行為と認知のVisualization〜』である。
臨床場面で認知神経リハビリテーションを実践する中で、一般的評価では測れないが「確かにそこに言語としてのコミュニケーションが存在している」と実感する場面に出会うことがある。例えば、重度運動性失語症例が発話として多くを語ることができなくても、他者との会話の文脈を理解し、目は笑いながらも眉間に皺を寄せて、更に肩をすくめてセラピストを小突くような仕草を見せる、まさにその人なりのユーモアを交えて冗談を表現するような場面だ。症例は最初からそのような表現ができたわけでない。出会ったころから社交的な方ではあったが、言語性・動作性ともに保続が強く、伝わっていないことに気づかずに繰り返し訴え続けることが多かった。訓練を通じて対話の姿勢を再学習し、ご自身の言葉・表現・伝え方を取り戻していったと考える。今回はこのような一般的評価では測りきれない観察の視点をどのように捉えるか、いくつかの症例とともに考えていきたい。
また視点のエッセンスをもうひとつ加えてみようと思う。臨床美術というアートセラピーがある。五感やオノマトペを活用し過去の記憶や情動と結び付けることや右脳で見る手法でシンボル化されていない部分を描くことを重要視する臨床美術の視点を、「見えないものを観る」という今回のテーマと重ねてお伝えする。
臨床場面で認知神経リハビリテーションを実践する中で、一般的評価では測れないが「確かにそこに言語としてのコミュニケーションが存在している」と実感する場面に出会うことがある。例えば、重度運動性失語症例が発話として多くを語ることができなくても、他者との会話の文脈を理解し、目は笑いながらも眉間に皺を寄せて、更に肩をすくめてセラピストを小突くような仕草を見せる、まさにその人なりのユーモアを交えて冗談を表現するような場面だ。症例は最初からそのような表現ができたわけでない。出会ったころから社交的な方ではあったが、言語性・動作性ともに保続が強く、伝わっていないことに気づかずに繰り返し訴え続けることが多かった。訓練を通じて対話の姿勢を再学習し、ご自身の言葉・表現・伝え方を取り戻していったと考える。今回はこのような一般的評価では測りきれない観察の視点をどのように捉えるか、いくつかの症例とともに考えていきたい。
また視点のエッセンスをもうひとつ加えてみようと思う。臨床美術というアートセラピーがある。五感やオノマトペを活用し過去の記憶や情動と結び付けることや右脳で見る手法でシンボル化されていない部分を描くことを重要視する臨床美術の視点を、「見えないものを観る」という今回のテーマと重ねてお伝えする。
