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[01史-口-01]明治期日本におけるカリセニクスの伝来と受容

*野中 雄太1 (1. 国立台湾師範大学)
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カリセニクス(Calisthenics)とは、1829年にクリアス(P.H.Clias)が考案した女子のための美と力の体操である。カリセニクスは明治期に日本へ伝わり、体操科において普及していった。しかし日本に伝わったカリセニクスは本来の女子のための体操ではなく、男女を対象とした体操として受容された。これまでの研究では、日本に伝来したカリセニクスにおいてその対象が変容した点について十分に論じられていない。また訳語についても、「美容術」「美容体操」「徒手体操」「柔軟体操」「整容体操」等があり、定訳は存在していない。そのため、日本におけるカリセニクスの実態は不明瞭である。本研究では、明治期に日本へ伝来したカリセニクスの実態を明らかにするため、欧米におけるカリセニクスを検討し、日本においてどのように受容されたのかについて、当時の辞書や体操書を用いて明らかにする。まず欧米のカリセニクスについて、元来はクリアスが考案した女子体操であり、器械・手具・徒手による体操であったが、アメリカに伝わると次第に男女を対象とした徒手中心の体操へと変容していった。そして日本に伝わったのは、このアメリカ式のカリセニクスであった。次に日本におけるカリセニクスの受容について、辞書においては「体術」「体操」「美容術」「美容体操」「女子体操」「柔軟体操」「軽体操」等に訳された。また体操書においては、「美容術」「徒手体操」「身体矯正術」「体を正直にするの法」「柔軟体操」「各個演習」等の体操として解釈された。このように、カリセニクスに多様な名称が用いられたことは教育現場に混乱をもたらし、1913年の『学校体操教授要目』による体操の統一化によって、体操科からカリセニクス及びその訳語は姿を消すこととなった。しかし、姿勢を矯正し美しい身体を形成するというカリセニクスの理念はその後も受け継がれていった。

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