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[学校保健体育-A-02]岡崎高等師範学校における雑誌『体育文化』刊行の意義(教)戦後学校体育理念構築の原点を探る

*宗野 文俊1 (1. 相模女子大学)
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第二次大戦直後の日本の学校体育は、戦前の軍国主義的な体育を払拭するために、当時のアメリカ体育の中心的思潮であった経験主義教育を基盤とした「新体育」「民主体育」「児童中心の体育」といった方向へ大きく転換した。しかしながら、この転換は外部的要因である占領政策の一環として行われ、学校体育という内部的要因における転換の実情については十分に把握できていないことが指摘されている。そのような中で、戦時中に開校した岡崎高等師範学校体育教官室によって編纂され、1946(昭和21)年12月に刊行された雑誌『体育文化』は、戦後学校体育理念構築の原点の一つとして位置づけることが可能であると考えられる。したがって、雑誌『体育文化』の論考を再検討していくことによって、現在の学校体育のあり方の視座をあらためて見出していきたい。
 戦時体制下の1945(昭和20)年4月に設立された岡崎高等師範学校は、混沌とした状況の中で設立された学校であるにもかかわらず「過去において日本の教育の発展を阻んできた古いものは潔く捨て、新しきよきものを育てる具体的方針を明らかにし」(中野、2015)ていくといった、困難に向かって前を向いて立ち向かっていく革新的な校風を有していた。そういったことも相まって、岡崎高等師範学校体育教官室を中心に東海地区の体育研究者や教員、教育行政関係者によって体育を“文化”としてとらえて実践していくことが目指されるようになった。これは、戦前・戦中の体制下による体育の反省から、中央集権的教育制度を打破して地方から新たな学校体育の理念を試行錯誤しながら構築していこうとする気概に満ちた試みであり、現在の学校体育理念の原点となっていると考えられる。

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