講演情報

[00哲-口-01]スポーツにおける身体の拡張と遮断メディアのコミュニティ形成機能

*佐藤 慈1 (1. 明治大学大学院)
PDFダウンロードPDFダウンロード
マクルーハンは、メディアが伝える内容ではなく、その形式が持つメッセージ性を強調した。教会の礼拝においては、人々はひとつの場所に集まって「声」というメディアによって「聴覚」を中心にコミュニティが形成される。ところが、グーテンベルクが活版印刷を発明すると、同一の文章が大量に複製され、「文字」というメディアによって「視覚」を中心とする世界が生まれる。人々はひとつの場所に集う必要性を喪失し、コミュニティは瓦解する。マクルーハンはコミュニティを取り戻す契機を―家族がひとつの場所に集まって視聴するような―テレビの登場に期待した。 しかし、大黒岳彦が指摘するように、現在ではネットワーク・パラダイムを持つインターネットの普及がテレビのマスメディア・パラダイムを凌駕しつつある。テレビでは、送信者が精選した同一の情報が多くの受信者に一斉送信される。インターネットでは、情報を受信する個人が同時に送信者となり、情報は次々と更新される。受信者は興味のある情報だけを受信し、更新される膨大な情報はゴミとなる。21世紀においてなお、マクルーハンが期待したコミュニティ形成機能は未完である。 本報告では、コミュニティ形成機能について考えるために「身体の拡張」に着目する。マクルーハンによれば、本は人間の視覚を拡張させ、ラジオは人間の聴覚を拡張させる。自動車が人間の足を拡張させるように、野球のグローブは人間の手を拡張させる。マクルーハンはそれを使う人間に意識されずに身体を拡張させるものを「メディア」と定義したのである。 だが、野球のグローブは人間の身体を「遮断」(アルスベルク)する側面を持つ。グローブをはめた手でボールを投げることはできない。つまり、手の投げる能力を遮断しているのである。この「拡張/遮断」の概念から捉え直すとき、メディアを介したスポーツには、いかなるコミュニティ形成の機能が見出されるのだろうか。

コメント

コメントの閲覧・投稿にはログインが必要です。ログイン