講演情報

[生涯スポーツ-SB-1]生涯スポーツ社会実現のための公共哲学の役割

*山脇 直司1,2 (1. 東京大学、2. 星槎大学)
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<演者略歴>
1949年3月生まれ。ミュンヘン大学哲学博士。東海大学専任講師、上智大学准教授を経て1988年東京大学教養学部准教授、1996年から2013年3月まで東京大学大学院総合文化研究科教授。2013年4月から2023年3月まで通信制の星槎大学教授(2019年度から2022年度まで同学長)。2006年から八戸特派大使。
スポーツが、楽しみとよりよき生のために自発的に行う身体活動、ルールを設けその中で自由な能力の発揮と挑戦を試み最善を尽くしてフェアプレーに終始する営み、さらにその観戦に熱中することまで意味するならば、生涯スポーツの促進のためには、体型や体力や身体能力という点で他者と置き換えることのできない人々の多様性=個性差を互いに認め合うことを大前提とし、優勝劣敗や勝ち組・負け組という範疇が生涯スポーツにはそぐわないという認識が不可欠である。
 報告者は、かねがね、かつてのスポーツチームによく見られた、組織のために自己を犠牲にする「滅私奉公(めっしほうこう)」的なスタイルに代えて、私という個人一人一人を活かしながら、他者とのかかわりや公正さの感覚を開花させる「活私開公(かっしかいこう)」的なスタイルを理想と考えてきた。そしてそれに加え、(できるだけ私利私欲を抑えて)他者をサポートする「無私開公(むしかいこう)ないし滅私開公(めっしかいこう)」的なスタイルの協働(コラボレーション)による共生社会の実現を唱えてきた。共生的な生涯スポーツの推進のためには、自分を活かしながら公共的ルールや公正さを学び、他者とつながり、生の充実を得るという「活私開公」的なスポーツ観と、その実現のために他者をサポートする教育者や行政、関連組織(企業)の「無私開公」的な活動が不可欠と言えるだろう。
 このようなスタイルを身につけるスポーツ教育はどのようにして可能だろうか。また、たとえば「勝ったら嬉しい、負けても楽しい、ゆるスポーツ」(澤田智洋)など、多様な形でスポーツを開発・発展させていくことは可能だろうか?さらに、地域と行政の連携によってそうした場や制度を創ることはどこまで可能だろうか?当日は、このようなことを「現場と理念と制度」をつなぐ公共哲学的な観点からより詳しく述べ、他の発表者の方々と論じ合いたいと思っている。

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