講演情報
[13ア-KL-1]障害者スポーツと科学技術の交差性
*渡 正1 (1. 順天堂大学)
<演者略歴>
筑波大学大学院人間総合科学研究科単位取得退学、博士(学術)。車椅子バスケットボールのフィールドワークやパラアスリートのメディア表象など、障害者とスポーツの接点において「障害」や「スポーツ」が人々にどのような意味を持ちうるかについて社会学的検討を展開してきた。
筑波大学大学院人間総合科学研究科単位取得退学、博士(学術)。車椅子バスケットボールのフィールドワークやパラアスリートのメディア表象など、障害者とスポーツの接点において「障害」や「スポーツ」が人々にどのような意味を持ちうるかについて社会学的検討を展開してきた。
障害者のスポーツ活動、特に身体障害者は、スポーツに参加する際に義足や車椅子などが必要であり、多くのアスリートはテクノロジーと身体を複合させて競技するこが前提となっている。これらは、障害者をスポーツに包摂するための合理的配慮を可能にするテクノロジーであった。パラアスリートの身体は「サイボーグ」として表象され、近代スポーツが前提とする「自然な身体」がイデオロギー的な理想であることを指し示すものとして議論の中心にもなった。しかし、オスカー・ピストリウスやマルクス・レームはまさにその身体の「サイボーグ」性がゆえに、オリンピックへの参入が認められず排除されたのである。現代のスポーツにおいては、(パラ)アスリートはつねに、そしてすでに身体と技術の複合として存在するが、こうしたアスリートの身体とそれを支えるテクノロジーは様々に既存のスポーツ的価値・規範と対立する可能性をはらむ。
本報告では、こうしたアスリートの身体を、スポーツと科学技術の交差する場所として捉え、関連するいくつかの事例から、身体のエンハンスメントとトリートメントについて考える。こうした交差性を検討するにあたっては、科学技術社会論(STS)やエスノメソドロジー(EMCA)の視点から、科学技術がパラアスリートやパラスポーツをどのように照射し、何を射程外においてきたのかを検討し紹介する。
本報告では、こうしたアスリートの身体を、スポーツと科学技術の交差する場所として捉え、関連するいくつかの事例から、身体のエンハンスメントとトリートメントについて考える。こうした交差性を検討するにあたっては、科学技術社会論(STS)やエスノメソドロジー(EMCA)の視点から、科学技術がパラアスリートやパラスポーツをどのように照射し、何を射程外においてきたのかを検討し紹介する。
コメント
コメントの閲覧・投稿にはログインが必要です。ログイン
