講演情報

[スポーツ文化-B-14]ピエール・ド・クーベルタンによる「スポーツと平和」思想の原点(史)

*和田 浩一1 (1. 神戸医療未来大学)
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「スポーツと平和」の源流は、近代オリンピックの制度を創出したピエール・ド・クーベルタン(1863-1937年)の思想にさかのぼる。本発表では、平和に関するクーベルタンの初の論考である「平和への教育」を取り上げ、彼がスポーツと教育と平和を結びつけるに至った背景とその内容とをQuanz(1994年)に学びながら明らかにする。「平和への教育」は、社会経済学会発行の『社会改革』1889年9月号で発表された小論である。1889年は6月にパリで列国議会同盟が設立されるなど、組織的な国際平和運動の起点となった年である。この小論には、列国議会同盟設立の会議で示されたという、学校の中で生じた争いを自分たち自身で解決するという仕組みの教育現場への導入が紹介されている。クーベルタンはこの平和教育の一つのモデルを、パブリック・スクールのスポーツ活動の中に見ていた。例えば、イギリスではボクシング・グローブが「平和の番人」と呼ばれ、ボクシングが子どもたちに「より長続きする確かな平和をもたらす」と述べている。イギリスの教育についてのさらなる指摘は、クーベルタンが「うってつけの審判」と形容するキャプテンの存在である。年齢や日々の行い、スポーツ競技における力と巧みさの点で仲間の長となったキャプテンは、重みのある言葉や絶対的な権威により喧嘩をしずめ、仲間を驚かせるような賢さを示すと説明されている。クーベルタンは「平和への教育」の冒頭で、戦争仲裁の枠組みを作ろうとする列国議会同盟の目標を高く評価している。少年たちの社会におけるキャプテンの役割(うってつけの審判)は、まさに争いの仲裁である。この同じ構図が、スポーツ(オリンピック)が「全世界の平和を確保する、間接的にではあるが有力な一要因となる」(1896年)という、クーベルタンによるスポーツと平和に関する思想につながっている。

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