講演情報
[12人-口-09]天真体道にみる統合的身体運動文化の構造トランスモダン視座による青木宏之の体技思想の分析
*関口 遵1 (1. 日本体育大学)
本研究は、青木宏之が創始した身体実践体系「天真体道」の理論的分析を通して、近代および後近代の枠組みを超える統合的身体運動文化の可能性を明らかにするものである。天真体道は、型・組手・瞑想などの稽古を通じて、身体・霊性・関係性の一体化を志向する独自の実践体系であり、競技スポーツや伝統武道の制度的文脈から距離を取りながら、青木自身が「体技」と称する統合的営為として展開されてきた。
本研究ではまず、1990年代中盤以降に「ニュースポーツ」論や「ヴィジョナリースポーツ」論を提起した稲垣正浩の理論を批判的に検討する。稲垣は霊的身体経験の意義を評価しつつも、バタイユの「非知」概念などポストモダン理論に依拠したことにより、宗教や霊性の積極的統合には至らず、理論的抽象性と脱構築的批判にとどまった。これに対して本稿では、ケン・ウィルバーの「含んで超える」原理に基づくトランスモダン的視座を導入し、青木の思想と実践を分析する。
分析の結果、天真体道における型の創作実践、「天地人々ワレ一体」概念、「天真」思想は、前近代的霊性・近代的合理性・後近代的多元性を包含的に統合しており、稲垣理論が抱えていた宗教・霊性の排除、前後誤謬、理論的抽象性といった限界を乗り越えていることが明らかとなった。とりわけ天真体道は、霊性と身体性、個別性と普遍性を結び直す「統合的身体運動文化」を体現し、「体技」の実践哲学を具体化している。
本研究は、近代・後近代を超えるトランスモダン身体運動文化のモデルを提示し、現代スポーツ人類学に新たな理論的地平を拓くことを目的とする。
本研究ではまず、1990年代中盤以降に「ニュースポーツ」論や「ヴィジョナリースポーツ」論を提起した稲垣正浩の理論を批判的に検討する。稲垣は霊的身体経験の意義を評価しつつも、バタイユの「非知」概念などポストモダン理論に依拠したことにより、宗教や霊性の積極的統合には至らず、理論的抽象性と脱構築的批判にとどまった。これに対して本稿では、ケン・ウィルバーの「含んで超える」原理に基づくトランスモダン的視座を導入し、青木の思想と実践を分析する。
分析の結果、天真体道における型の創作実践、「天地人々ワレ一体」概念、「天真」思想は、前近代的霊性・近代的合理性・後近代的多元性を包含的に統合しており、稲垣理論が抱えていた宗教・霊性の排除、前後誤謬、理論的抽象性といった限界を乗り越えていることが明らかとなった。とりわけ天真体道は、霊性と身体性、個別性と普遍性を結び直す「統合的身体運動文化」を体現し、「体技」の実践哲学を具体化している。
本研究は、近代・後近代を超えるトランスモダン身体運動文化のモデルを提示し、現代スポーツ人類学に新たな理論的地平を拓くことを目的とする。
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