講演情報

[12人-口-11]大阪市大正区における沖縄空手の流入と実践の現在

*豊島 誠也1、田邊 元2、小木曽 航平3 (1. 広島大学、2. 富山大学、3. 九州大学)
PDFダウンロードPDFダウンロード
本発表の目的は、大阪市大正区における沖縄空手の流入に関する歴史的背景を明らかにするとともに、過去から現在に至るまでの沖縄本島との交流の中で、空手がどのように実践されてきたのかを分析することである。
 大正区は「リトル沖縄」とも称され、第一次世界大戦後の経済的困窮を背景に、多くの沖縄県出身者が移住した地域である。特に1920年代の深刻な食糧難の時期には、沖縄本島北部および南部から多くの人々が大阪へと移り住んだ。当時、大正区周辺では紡績産業が発展しており、労働力を必要としていたことから、沖縄出身者は大正区を中心に定住するようになった。現在においても、大正区の人口のおよそ4分の1が沖縄にルーツを持つとされている。確かに、街の通りには沖縄由来の名前の表札や沖縄物産店、飲食店が並び、シーサーの置物なども見られるなど、街自体に沖縄文化が色濃く根付いている。
 そういった背景の中で、大正区には沖縄空手の道場も根付き、沖縄本島と同様の様式で空手が実践されている。発表者が現地調査を行った道場では、剛柔流国際空手古武道連盟を基盤としており、稽古においては沖縄本島の本部道場の指導方針に基づき、基本動作や型に加えて、棒術やトンファーなどの沖縄由来の古武道も積極的に指導されていた。これらの稽古内容は、本部道場との継続的な交流によって確認・共有されており、空手は常に沖縄本土とのつながりを意識した中で実践されている。また、毎年開催される大正区のエイサー祭りでは、空手道場による演武が披露されており、沖縄空手はエイサーや食文化と並んで、大正区という沖縄移民社会における重要な文化表現の一端を担っている。
 本研究では、第一次世界大戦後に沖縄空手が大正区に流入した歴史的背景から現在の実践に至るまでの過程を、文献調査および関係者への聞き取りを通じて整理し、沖縄本島と大正区との「つながり」に関する考察を行うものである。

コメント

コメントの閲覧・投稿にはログインが必要です。ログイン