講演情報
[00哲-口-02]遊尽(ゆじん/Play and Exercise)の文化哲学クリケットあるいは「真理・価値・形式」
*林 洋輔1 (1. 大阪教育大学)
本発表は文化哲学の観点からクリケットのより良き理解に向けた哲学理論の視座を明らかにする。ところで標題の「遊尽(ゆじん)」とは、体育学で往時から議論されてきた遊戯論ならびに「心身の尽力Exercices Spirituels」と名指される哲学の視点を組み合わせた新規の概念装置を指す。発表ではこの「遊尽」の設定経緯から説き起こし、「真理・価値・形式」の三視座から以後にクリケットを考究する妥当性が明らかとなる。
クリケットの研究は、わが国で未踏の地平である。これまで学術の対象としてクリケットに着眼した研究は国内に僅少であり未発展である。また海外では主に歴史学と社会学、さらに本報告でも言及する文学領野において検討の跡を確認できる。他方でスポーツ哲学やスポーツ倫理学では試合中に生じた非違行為の是非やスポーツ概念の境界をめぐる議論が主に論じられており、本報告に類する議論は向後の発展を期する位置にある。
上記の「遊尽」にも包摂される文学領域でクリケットの言及が行われてきた事実に着眼する。すなわち、文学においてクリケットは重要な言及対象であったとわかる。他方、わが国の哲学界で殆ど議論のない「文学の哲学Literature and Philosophy」領域から進捗の可能であることを確認したい。というのも上記の如く「文学からクリケットを観る」ことが可能であり、また「文学の哲学」が文学の視座を鍛えるのなら、「文学の哲学」の視点を基盤にクリケットを捉え直すことが可能だからである。さらにこの「文学の哲学」は、哲学の問題としてクリケットを論ずる際の主要難点――時空間の制約――を乗り越える。本発表では以上の議論に基づき、「文学の哲学」の研究史から導きだされた「真理・価値・形式」の視座から哲学の観点よりクリケットを以後に議論する妥当性と論拠を示していく。
クリケットの研究は、わが国で未踏の地平である。これまで学術の対象としてクリケットに着眼した研究は国内に僅少であり未発展である。また海外では主に歴史学と社会学、さらに本報告でも言及する文学領野において検討の跡を確認できる。他方でスポーツ哲学やスポーツ倫理学では試合中に生じた非違行為の是非やスポーツ概念の境界をめぐる議論が主に論じられており、本報告に類する議論は向後の発展を期する位置にある。
上記の「遊尽」にも包摂される文学領域でクリケットの言及が行われてきた事実に着眼する。すなわち、文学においてクリケットは重要な言及対象であったとわかる。他方、わが国の哲学界で殆ど議論のない「文学の哲学Literature and Philosophy」領域から進捗の可能であることを確認したい。というのも上記の如く「文学からクリケットを観る」ことが可能であり、また「文学の哲学」が文学の視座を鍛えるのなら、「文学の哲学」の視点を基盤にクリケットを捉え直すことが可能だからである。さらにこの「文学の哲学」は、哲学の問題としてクリケットを論ずる際の主要難点――時空間の制約――を乗り越える。本発表では以上の議論に基づき、「文学の哲学」の研究史から導きだされた「真理・価値・形式」の視座から哲学の観点よりクリケットを以後に議論する妥当性と論拠を示していく。
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