講演情報
[00哲-口-08]ヘザリントン(Hetherington, C. W.)の体育理論にみる新体育の特徴
*髙橋 徹1 (1. 岡山大学学術研究院教育学域)
本発表の目的は、20世紀初頭のアメリカにおいて「新体育(New Physical Education)」を提唱した人物の一人であるヘザリントン(Hetherington, C. W.)の体育理論を読解することである。特に、彼と同じアメリカで同時代を生きたデューイの教育理論との対比を通してその特徴を明らかにしたい。なお、本発表ではヘザリントンの主著である『School program in Physical Education』(1923)を中心的な文献として分析対象とする。
戦後の日本における体育改革の理論的基盤となったのが、アメリカにおける進歩主義教育運動の一つである「新体育」の理念とされる。ヘザリントンはその「新体育」の提唱者の一人であり、そもそも彼こそが「新体育」という用語を初めて使用した人物であるという指摘すらある。しかし、漆原(1984)が彼の理論を原理的にとらえ考察を加えた文献は、米国においてさえほとんど見いだす事ができないと指摘する通り、その理論構造や根本概念等に関しては十分な検討が行われてきたとは言い難い状況である。また日本においても、ヘザリントンを対象にした論考は上記の指摘を発表した漆原(1984;1985)を除くと、管見の限りでは小田切(1978)が確認できるのみである。なお、ヘザリントンとデューイとの関係について言及した先行研究として、ワズワースによる『A comparison of the writings of Clark W. Hetherington and John Dewey』(1975)が存在するが、漆原によればこの論文においてもヘザリントンの体育理論は断片的に捉えられているに過ぎないと指摘される。
このような背景を踏まえ、ヘザリントンの体育理論の内実を明らかにすることにより、現在の体育を考える上での一つの起点とされている戦後体育への理解を広げることが本発表のねらいである。
戦後の日本における体育改革の理論的基盤となったのが、アメリカにおける進歩主義教育運動の一つである「新体育」の理念とされる。ヘザリントンはその「新体育」の提唱者の一人であり、そもそも彼こそが「新体育」という用語を初めて使用した人物であるという指摘すらある。しかし、漆原(1984)が彼の理論を原理的にとらえ考察を加えた文献は、米国においてさえほとんど見いだす事ができないと指摘する通り、その理論構造や根本概念等に関しては十分な検討が行われてきたとは言い難い状況である。また日本においても、ヘザリントンを対象にした論考は上記の指摘を発表した漆原(1984;1985)を除くと、管見の限りでは小田切(1978)が確認できるのみである。なお、ヘザリントンとデューイとの関係について言及した先行研究として、ワズワースによる『A comparison of the writings of Clark W. Hetherington and John Dewey』(1975)が存在するが、漆原によればこの論文においてもヘザリントンの体育理論は断片的に捉えられているに過ぎないと指摘される。
このような背景を踏まえ、ヘザリントンの体育理論の内実を明らかにすることにより、現在の体育を考える上での一つの起点とされている戦後体育への理解を広げることが本発表のねらいである。
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