講演情報
[00哲-口-09]ドイツサッカーにおける「男らしさ」のポリティクスウルトラスの男性学
*大槻 茂久1、釜崎 太2 (1. 日本女子体育大学、2. 明治大学)
ドイツの哲学者グンター・ゲバウアーは、自著『サッカーの詩学』において、「ピッチ上での容赦ない戦い」、「傷つけようとする意図の実行」、ルール違反の容認、相手を「殴った」り「地面に押し倒すこと」を意図した卑劣な行為は、男子サッカーにおいては良い試合の一部になっている、と指摘している。この誤解を招きかねない表現の真意を理解するには、ドイツにおいてサッカーという文化がいかに「男性化」されているか、すなわち「男さらしさ」をめぐるゲームとなっているか、についての理解が必要だう。
例えば、ドイツにおける男子と女子のサッカーの試合では、「デュエル(決闘)」と呼ばれる1対1のプレー場面で、まったく異なるファールの基準が適用されている。女子サッカーの場合、タックルによって引き起こされる怪我は全体のわずか25.5%であるのに対して、男子サッカーではタックルによる怪我が約二倍もの頻度で起こっている。ドイツの雑誌や書籍を一瞥しても、男らしさをめぐる競技としてサッカーを捉える表現は数多い。「男らしさのアリーナ」、「男らしさの世界観」、「男らしさの実践」、「男らしい儀礼」、「男らしさの真骨頂」、「男らしさの砦」、「男らしさを訓練する機会」などである。それゆえ、1970年代まで女子によるサッカーの試合が―「美的な理由と原理的な考慮」のために―ドイツサッカー連盟によって「禁止」されていたことも、驚くにはあたらない。
現在ではしかし、ドイツのサッカーが伝統的に表象してきた男らしさを、グローバル資本主義の浸透と並行するかたちで促された女子サッカーの普及が大きく変容させつつある。「男らしさ」の主戦場がフィールドからスタンドへ、プレーからマネージメントへと移行しようとしているのである。本報告において明らかにしようとするのは、そうした男らしさのアリーナに変容をもたらしているドイツサッカー界のポリティクスである。
例えば、ドイツにおける男子と女子のサッカーの試合では、「デュエル(決闘)」と呼ばれる1対1のプレー場面で、まったく異なるファールの基準が適用されている。女子サッカーの場合、タックルによって引き起こされる怪我は全体のわずか25.5%であるのに対して、男子サッカーではタックルによる怪我が約二倍もの頻度で起こっている。ドイツの雑誌や書籍を一瞥しても、男らしさをめぐる競技としてサッカーを捉える表現は数多い。「男らしさのアリーナ」、「男らしさの世界観」、「男らしさの実践」、「男らしい儀礼」、「男らしさの真骨頂」、「男らしさの砦」、「男らしさを訓練する機会」などである。それゆえ、1970年代まで女子によるサッカーの試合が―「美的な理由と原理的な考慮」のために―ドイツサッカー連盟によって「禁止」されていたことも、驚くにはあたらない。
現在ではしかし、ドイツのサッカーが伝統的に表象してきた男らしさを、グローバル資本主義の浸透と並行するかたちで促された女子サッカーの普及が大きく変容させつつある。「男らしさ」の主戦場がフィールドからスタンドへ、プレーからマネージメントへと移行しようとしているのである。本報告において明らかにしようとするのは、そうした男らしさのアリーナに変容をもたらしているドイツサッカー界のポリティクスである。
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