講演情報

[00哲-口-10]現象形態としての「ポスト・スポーツ」始原としてのシンボル化能力

*河野 清司1 (1. 至学館大学)
PDFダウンロードPDFダウンロード
現代のスポーツにおいては、テクノロジーやAIと密接に結びついた身体運動のデータ化、優れた競技者の運動解析によるマラソンシューズの開発などが進められている。これらを含む新たな形態は「ポスト・スポーツ」と呼ばれている(山本敦久、ポスト・スポーツ論の射程、「思想」2024年第10号所収)。本発表の目的は、この「ポスト・スポーツ」の始原を文化論の視点から明らかにすることである。その方法として、エルンスト・カッシーラーの文化哲学を援用していく。その鍵は「シンボル化能力」である。彼の著作『人間』によれば、人間は「シンボリック・システム(象徴系)」の世界に住んでいる。言語形式や芸術的形象は「人為的な媒介物」であり、言語、芸術の世界は、これらのシンボル形式によって構成されている。さらに、このシンボルの材料(素材)については、「人間文化の特殊の性格ならびにその知的および道徳的価値は、それを構成している材料に由来せず、その形式すなわち、その建築的構造に由来する。そして、この形式は、どんな感覚的材料によって表現されてもよい」としている。
カッシーラーの思想は、現在のスポーツについて考える場合の導きの糸となる。スポーツにおいては、「運動形式(技)」が独自のシンボルとして機能している。例えば、「フォスベリー・フロップ」は、走り高跳びの世界の構成契機であり、まさに独自のシンボル形式として機能している。さらに、この形式も含め、シンボル形式の産出を可能にしているのが、トラックのサーフェスや専用のシューズなどである。例えば、短距離走者のカール・ルイスの流れるような運動フォームを可能にしたのは、スペースシャトルのパラシュート素材をスポーツ化したスパイクであった。
以上のように、「ポスト・スポーツ」の始原はまさに人間のシンボル化能力にあると同時に、あらゆる素材がスポーツ化(シンボル化)される可能性を示していく。

コメント

コメントの閲覧・投稿にはログインが必要です。ログイン