講演情報
[01史-口-02]明治後期の関西地域における女子バスケットボール普及過程の再検討
*柿山 哲治1 (1. 福岡大学)
【研究目的】本研究は、明治後期の関西地域における女子バスケットボール普及過程を、新たに発掘したな一次史料に基づき再検討する。特に、梅花女学校のMarion Allchin(オルチン女史)と神戸女学院のJulia Clarissa Hocking(ホッキング女史)という2人のアメリカ人女性宣教師に焦点を当て、米国東部女子教育ネットワークの影響を明らかにした。
【研究方法】オルチン女史については、Abbot Academy(マサチューセッツ州)の年鑑(1908年)や「A Singular School」からバスケットボール経験を分析した。神戸女学院については、同窓会誌「めぐみ」(1890年創刊)を分析し、ホッキング女史の経歴をOberlin College所蔵資料により追跡した。
【梅花女学校とオルチン女史の役割】オルチン女史は、Abbot Academy在学時(1908年卒)にYWCA支部長を務め、同校でバスケットボールを導入したRebecca Chickeringの影響を受けていた。1905年の写真史料から、Abbot Academyでは既に本格的な女子バスケットボールが実施されていたことが確認され、梅花女学校ではこのモデルに基づく組織的なチーム運営が行われていた。
【神戸女学院における展開】「めぐみ」の記録から、ホッキング女史着任前の1903年には既にバスケットボールが行われており、彼女が初めて導入したわけではないことが判明した。ただし、体育担当として赴任した宣教師としては最初期の事例であり、Mt. Holyoke College出身の前任者(英語兼体育担当)らとは異なる役割を果たしていた。
【結論】関西のキリスト教主義女学校におけるバスケットボール普及は、単なる技術移転ではなく、米国東部の女子教育ネットワークが媒介した文化的転移プロセスであった可能性が示唆された。
【研究方法】オルチン女史については、Abbot Academy(マサチューセッツ州)の年鑑(1908年)や「A Singular School」からバスケットボール経験を分析した。神戸女学院については、同窓会誌「めぐみ」(1890年創刊)を分析し、ホッキング女史の経歴をOberlin College所蔵資料により追跡した。
【梅花女学校とオルチン女史の役割】オルチン女史は、Abbot Academy在学時(1908年卒)にYWCA支部長を務め、同校でバスケットボールを導入したRebecca Chickeringの影響を受けていた。1905年の写真史料から、Abbot Academyでは既に本格的な女子バスケットボールが実施されていたことが確認され、梅花女学校ではこのモデルに基づく組織的なチーム運営が行われていた。
【神戸女学院における展開】「めぐみ」の記録から、ホッキング女史着任前の1903年には既にバスケットボールが行われており、彼女が初めて導入したわけではないことが判明した。ただし、体育担当として赴任した宣教師としては最初期の事例であり、Mt. Holyoke College出身の前任者(英語兼体育担当)らとは異なる役割を果たしていた。
【結論】関西のキリスト教主義女学校におけるバスケットボール普及は、単なる技術移転ではなく、米国東部の女子教育ネットワークが媒介した文化的転移プロセスであった可能性が示唆された。
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