講演情報
[11教-ポ-26]発生論的運動学におけるなじみの形成を意図した授業実践
*小谷 幸平1,2 (1. 新潟医療福祉大学、2. 兵庫教育大学大学院)
体育授業においては,運動学習が中心的な内容となる(金子,1996,p.2).したがって,指導者である教師は学習者を上手くさせることが最も重要な仕事と言えるだろう.しかし,指導者が学習者を上手くさせようとしても,部活動と異なり,運動やスポーツに動機づけられていない者が一定数いることも事実である.このような学習者に対しても,指導者である教師はいかにして課題となる運動に取り組ませ,技術を向上させるかが腕の見せ所となる.
渡辺(2025,p.116)は,運動学習を開始するにおいて「場の雰囲気や自らの身体状態感に基づいて,学習者がこれから学習しようとしている運動体験の世界に対して,違和感や忌避感情を伴わずに受動的に関心をもっている必要がある」と述べている.つまり,身体が運動に対し「やってもよい」,「動いてもよい」という「運動感覚的共感」(金子,2002,pp.418-419),いわゆる運動への「なじみ」が生じていなければならない.なじみが生じている状態を例に挙げると,教師の示範に対し,思わず身体を動かしながら見ている場面や練習仲間の学習者の動きに対し,見惚れる場面などがある.一方で,なじみが生じていない例としては,水泳の学習を挙げることができる.水になじみを持てていない場合,水に顔をつけることすら拒む場面が多々生じる.このような学習者に対しては,しばしば「勇気を出して!」といった半ば精神論的な指導が展開されがちである.
本発表では,筆者が現在勤務校で担当している教養体育(スポーツ実践・レクリエーション)の授業において,アナロゴンや条件を緩和した運動課題を用いて学習者を課題の運動に対し,なじみを持たせることを意図した授業実践について紹介する.
渡辺(2025,p.116)は,運動学習を開始するにおいて「場の雰囲気や自らの身体状態感に基づいて,学習者がこれから学習しようとしている運動体験の世界に対して,違和感や忌避感情を伴わずに受動的に関心をもっている必要がある」と述べている.つまり,身体が運動に対し「やってもよい」,「動いてもよい」という「運動感覚的共感」(金子,2002,pp.418-419),いわゆる運動への「なじみ」が生じていなければならない.なじみが生じている状態を例に挙げると,教師の示範に対し,思わず身体を動かしながら見ている場面や練習仲間の学習者の動きに対し,見惚れる場面などがある.一方で,なじみが生じていない例としては,水泳の学習を挙げることができる.水になじみを持てていない場合,水に顔をつけることすら拒む場面が多々生じる.このような学習者に対しては,しばしば「勇気を出して!」といった半ば精神論的な指導が展開されがちである.
本発表では,筆者が現在勤務校で担当している教養体育(スポーツ実践・レクリエーション)の授業において,アナロゴンや条件を緩和した運動課題を用いて学習者を課題の運動に対し,なじみを持たせることを意図した授業実践について紹介する.
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