講演情報
[00哲-KL-1]体育実践を再構築する必要性痛みの現象学的考察に基づく問題提起
*中野 大希1 (1. 福岡大学)
<演者略歴>
中学校と小学校で教員をした後、筑波大学大学院を修了。在学中も非常勤講師として高専や大学で体育授業を担当。博士(体育科学)。現在は、福岡大学スポーツ科学部講師。専門は体育哲学。体育授業における身体的経験、特に痛みの経験が有する意味について、現象学的身体論の立場から研究している。
中学校と小学校で教員をした後、筑波大学大学院を修了。在学中も非常勤講師として高専や大学で体育授業を担当。博士(体育科学)。現在は、福岡大学スポーツ科学部講師。専門は体育哲学。体育授業における身体的経験、特に痛みの経験が有する意味について、現象学的身体論の立場から研究している。
本講演の目的は、運動実践における痛みの経験の現象学的考察に基づいて、体育実践を再構築する必要性を示すことである。この試みの背景には、体育授業において児童生徒の痛みを感じる機会が排除されているという実践的な現状がある。例えば、新聞紙でサッカーをしたり、他者との接触が禁止されているタグラグビーを行ったりする取り組みが確認される。このような痛みの排除は、児童生徒の学習意欲の向上に寄与すると思われるが、肯定的な側面のみを有するのだろうか。その課題を捉え、体育実践をより充実したものにするために、本講演ではメルロ=ポンティの現象学的身体論を視点にしながら、児童生徒にとって痛みの経験が有する意味を探究する。
その身体論に依拠すると、運動実践における痛みの経験は、痛みを生じさせた事物や他者が児童生徒の身体にとって現れる仕方を変容させているといえる。この変容によって、事物や他者と接触しそうになっている状況において、彼らの身体はそれらを知覚の対象として選択することができる。この選択が生じなければ、児童生徒が回避する身体運動を起こすことは困難になる。したがって、運動実践における痛みの経験は、彼らの安全な身体運動を支えているのである。
このような現象学的考察に基づくと、現状の体育実践に関して次の2点を指摘することができる。1つ目に、体育授業における痛みの排除は児童生徒の安全を脅かし、結果的に怪我の発生につながり得る。安全に運動できる児童生徒を育成するという目標を体育で掲げるのであれば、痛みを経験する機会が適切に設定された実践へと再構築されなければならない。2つ目に、生涯にわたりスポーツを豊かに実践するためには、児童生徒の身体を変えることが不可欠である。それゆえ、今日支配的に展開されている、豊かなスポーツライフの実現に向けた体育実践は、「身体の教育」を基盤にした在り方へと再構築される必要がある。本講演では、これら2点の問題提起をより具体的に試みる。
その身体論に依拠すると、運動実践における痛みの経験は、痛みを生じさせた事物や他者が児童生徒の身体にとって現れる仕方を変容させているといえる。この変容によって、事物や他者と接触しそうになっている状況において、彼らの身体はそれらを知覚の対象として選択することができる。この選択が生じなければ、児童生徒が回避する身体運動を起こすことは困難になる。したがって、運動実践における痛みの経験は、彼らの安全な身体運動を支えているのである。
このような現象学的考察に基づくと、現状の体育実践に関して次の2点を指摘することができる。1つ目に、体育授業における痛みの排除は児童生徒の安全を脅かし、結果的に怪我の発生につながり得る。安全に運動できる児童生徒を育成するという目標を体育で掲げるのであれば、痛みを経験する機会が適切に設定された実践へと再構築されなければならない。2つ目に、生涯にわたりスポーツを豊かに実践するためには、児童生徒の身体を変えることが不可欠である。それゆえ、今日支配的に展開されている、豊かなスポーツライフの実現に向けた体育実践は、「身体の教育」を基盤にした在り方へと再構築される必要がある。本講演では、これら2点の問題提起をより具体的に試みる。
コメント
コメントの閲覧・投稿にはログインが必要です。ログイン
