講演情報

[合同-S-1]学校体育を取り巻く社会の変化と子どもの身体

*有山 篤利1 (1. 神戸親和大学)
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<演者略歴>
京都府立高校教諭、京都府教育庁指導部保健体育課指導主事を経て、聖泉大学人間学部、兵庫教育大学大学院、追手門学院大学社会学部教授を歴任。現在、神戸親和大学教育学部教授。体育社会学、スポーツ教育学を専門とし、運動部活動や武道が主な研究対象。博士(教育学)。
現代社会は、質的にも量的にも人類がかつて経験したことのないような過激な変化に直面している。AIやICT機器の急速な発達などはその最もわかりやすい例であろう。社会の変化は、常にそれに見合った「身体」を我々に求める。そして、それを具現化する有力な装置の一つが学校教育である。なかでも、人の「身体」そのものを対象にする教育である体育はその中核を担う学びと言える。では、現代はどのような「身体」を我々に求めているのだろうか。
 近代日本では、いかに量的に多くのモノを獲得したかが重要な人生の指標となってきた。しかし、現代はWell-beingやQuality of Lifeという言葉に象徴されるように、生活の質が問われる時代である。それは、人の充足感の対象がモノからココロへと移ったことを意味する。
 俗に、人の生活を「食う・寝る・遊ぶ」という言い方であらわすことがある。「食う」とは働くこと、「寝る」とは体を休めることを象徴している。そして、「食う・寝る」はモノの充足に欠かせない活動である。しかし、モノだけでは人のココロは充足できない。ココロの充足には「遊ぶ」が不可欠である。しかも、人生100年時代となり働き方改革が進む昨今、「遊ぶ」ための余暇時間は飛躍的に増大しつつある。「食う・寝る」に対して、生活を潤す活動としての「遊ぶ」の比重が相対的に高まっており、「遊ぶ」時間の充実は豊かな生を左右する重要な要素となっている。
 しかし、これまでの学校体育は主としてよりよく「食う・寝る」ことを想定した活動ではなかったか。今や、余暇は受動的な暇つぶしではない。人生の中に「遊ぶ」を主体的に取り入れた可処分時間をどう位置づけるのか。運動やスポーツの学習を通して、豊かに「遊ぶ」ことができる身体の育成が子どもたちに求められている。その重要なヒントが我が国の伝統的な武道に見られるが、詳細はシンポジウムにて解説したい。

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