Presentation Information
[会員企画9-1]身体教育における「学び」の再考What Has Reflective Practice Overcome in Social Constructionism?
*Shoko Makino1 (1. International Budo University)
<演者略歴>
愛知教育大学教育学部卒業後、愛知県の公立小・中学校教諭となる。10年間の在職中に愛知教育大学大学院教育学研究科に入学し2019年修了。2022年より現職。専門は体育科教育学。
愛知教育大学教育学部卒業後、愛知県の公立小・中学校教諭となる。10年間の在職中に愛知教育大学大学院教育学研究科に入学し2019年修了。2022年より現職。専門は体育科教育学。
すでに体育の授業研究においても多様なかたちで取り上げられている社会構成主義は、私たちが現実とみなしている世界を社会的に構成されたものとして捉え直し、自己の概念に先行する相互調整(協調)のプロセスを重視する立場である。「知」の意味内容を自明視するのではなく、歴史や文化、社会によって構成されたものと捉えることで、異なる解釈や新たな考え方をもつ人々と理解し合うことへの可能性を拓こうとする。こうした特徴をもつ社会構成主義の理論は、学校の授業を教師から子どもへと一方向的に「知」を教え込むのではなく、子どもと教師、子ども同士の間で「知」を構成する「学び」の授業へと転換させる可能性をもっている。特に「対話的な学び」が強調される現在の教育課程においては、対話を通して知識や思考を構成・変容することを求める知識観や学習観は、授業研究や実践研究に重要な示唆を与えるものとなるだろう。
だが、社会構成主義の「知」の概念は、「言語」モデルを前提としているため、観念論(人々の関係性において、そのひとの観念の中で「知」が構成される)の次元を脱していない。しかし、身体活動が伴う体育の授業では、物体そのものとしての身体の問題を避けられない。つまり、社会構成主義の立場から「体育(身体教育)」を捉えようとすれば、観念論的な「知」の概念の克服が求められることになる。
本報告ではその可能性を探究するために、「反省的実践」を取り上げる。「反省的実践」とは、教師と子どもが共に身体的存在者として多様な関係性を築き合いながら、協同で知を探求していく学びの在り方である。「反省的実践」は、社会構成主義の何を、どのようにして乗り越え、その「学び」の捉え方は「体育」にいかなる変容を迫っているのだろうか。
だが、社会構成主義の「知」の概念は、「言語」モデルを前提としているため、観念論(人々の関係性において、そのひとの観念の中で「知」が構成される)の次元を脱していない。しかし、身体活動が伴う体育の授業では、物体そのものとしての身体の問題を避けられない。つまり、社会構成主義の立場から「体育(身体教育)」を捉えようとすれば、観念論的な「知」の概念の克服が求められることになる。
本報告ではその可能性を探究するために、「反省的実践」を取り上げる。「反省的実践」とは、教師と子どもが共に身体的存在者として多様な関係性を築き合いながら、協同で知を探求していく学びの在り方である。「反省的実践」は、社会構成主義の何を、どのようにして乗り越え、その「学び」の捉え方は「体育」にいかなる変容を迫っているのだろうか。
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