講演情報

[167]社会改良運動を通じた田園都市の受容過程内務省地方局関係者による田園都市をめぐる言説に着目して

○玄田 悠大1、中島 直人1 (1. 東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻)
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キーワード:

田園都市、社会改良運動、内務省地方局、井上友一、生江孝之

本研究では、明治・大正期、田園都市構想が社会改良運動の文脈でどのように受容及び伝搬されたかを、書籍『田園都市』を出版した内務省地方局関係者の言説を中心に分析した。研究背景として、近年、田園都市構想の影響を受けた郊外住宅地で歴史的環境保全への効果的な取り組みが模索されており、田園都市が受容当時どのような理念のもとで扱われてきたかを改めて整理することにより、地域の価値再考につなげることを模索するものである。結果、Garden Cityの訳語としての「田園都市」が最初に使用されたのは定説とは異なる1905年であり、その文脈も教育に関する用いられ方であったことが明らかになった。その後、(1)田園都市は先進国入りした日本の国家の健全と国民の体力確保に効果的であるという、富国と健康に利する取り組みという文脈、(2)ハワードを地方改良の施策を講じた篤志家的人物として取り上げ、日本の地方改良において各地域でそのような人物が必要であるという文脈、(3)田園都市は地方改良の一事例であり、日本においてもそのような事例に応する模範村があるという文脈、という、教育から地方改良の文脈へと展開していったことが明らかになった。