講演情報
[R1-P-04]アルメニア前期青銅器時代土器の胎土分析
*黒澤 正紀1、千本 真生2、柴田 徹3 (1. 筑波大・生命環境、2. 古代オリエント博物館、3. 考古石材研究所)
キーワード:
土器、アルメニア、青銅器時代、胎土分析、モフラ・ブルール
土器は、多様な環境で良好に保存されるため、人類活動の重要な指標となっている。土器の構成物質からは、材料の選択と産地の情報や、加熱・加工の技術過程の情報が得られ、さらに考古学的情報と併せることで当時の文化・交流交易・技術レベルなどを知ることができる。現在、土器の構成物質やそこに記録された加工の解析は、土器の基本情報として扱われ、それらの多くは鉱物学的手法で得られるため、鉱物学分野の一端として急速に進展している。ここでは、アルメニアの土器を例に、土器研究の基本的手法について紹介する。
試料は、アルメニア首都エレバンから南西20 kmにある、前期青銅器時代のモフラ・ブルール(Mokhrablur) 遺跡の土器片である。アルメニアは、黒海とカスピ海に挟まれた山岳地帯に位置し、ユーラシアとアラビアの両プレートの収束境界にあるため、火山活動が盛んで、安山岩質・流紋岩質のマグマも多く噴出する。遺跡は、主に安山岩・デイサイトからなる巨大火山であるアラガツ山の南端に拡がる、標高約850 mの平原地帯の河川沿いに位置し、遺跡付近も同山からの火山岩砕屑物で覆われている。気候は大陸性で、やや冷涼で乾燥し、植生が少ない。平原地帯は、紀元前6000年頃の新石器時代までは巨大な淡水湖となっており、その周囲には青銅器時代の遺跡が多数分布している。
モフラ・ブルール遺跡は、紀元前4千年紀~前3千年紀のもので、広大な面積に年代の異なる約11層の文化層が地層のように累重し、日干しレンガ建造物・灌漑跡や高度な金属細工・土器などが出土した。それらのうち、紀元前2900年~前2500年頃の前期青銅器時代の文化層からは、当時のアルメニア全域に広がるクラ・アラクセス文化の第II期を代表する土器が出土した。この土器は、表面が黒色で光沢が出るほど磨かれ、内面が赤褐色という特徴的な様式を持つ。その土器の破片5点をアルメニア科学アカデミーと日本の考古学隊との共同研究の過程で供与されたので、今回の試料とした。
土器片は、厚さ約8~13 mmで、表側は漆黒色で丁寧に磨研され、ガラスのような光沢を持ち、裏側は茶褐色~赤褐色で、磨研されていなかった。薄片の顕微鏡観察では、粘土質のマトリックス中に、多量の円磨された安山岩の岩片や火山ガラスの破片、石英・斜長石・単斜輝石・角閃石などの鉱物粒子が観察された。それら以外に、河川の上流部に由来する変成岩・石灰岩・花崗岩の岩片やカリ長石・方解石の鉱物粒子を微量に含む土器片も1例観察された。岩片や鉱物粒子の量は試料によって大きく異なり、少ない土器片は空隙が少ない緻密な粘土組織なのに対し、岩片の多い土器は細長い不規則状の空隙を多く含む粗雑な組織となっていた。蛍光X線分析による全岩組成の測定では、土器片はアラガツ山の酸性凝灰岩の組成とほぼ同じであった。また、一部の土器片には淡水性珪藻の遺骸が含まれていた。
全体的に土器の材料粘土は良く練られ、その影響で細長い鉱物粒子や空隙が土器の器面に平行に配列していた。1例を除いて、土器の粘土質マトリックスは、光学的異方性を失っており、約700℃以上での焼成が推定された。また、粉末X線回折では、全ての試料でイライトの回折ピークが観察されたが、他の粘土鉱物のピークは確認されなかった。他方、遺跡周辺一帯の表層堆積物や地下浅部の地層および河川堆積物には、その他に緑泥石やスメクタイトの混合層鉱物が含まれていた。スメクタイトの混合層鉱物は550℃の加熱で、緑泥石は700℃~750℃の加熱で、回折ピークが消失する。そのため、周辺土壌から土器が作られた場合には、土器片は700℃以上の温度で焼成されたと考えられた。走査型電顕で観察すると、土器内部の粘土組織が部分溶融した組織も一部に観察され、800~850℃程度まで温度上昇した部分が局部的にあることが確認された。また、今回の土器片は、火山ガラスを多く含むために、埋没による続成作用の影響を受けやすく、全ての試料の粘土基質の一部には微小な柱状の二次鉱物(シンゲナイトK2Ca(SO4)2·H2O)が形成されていた。
試料中の鉱物粒子・岩片の種類・土器の組織・珪藻遺骸の有無などから、土器は3タイプに分けられ、タイプによって材料粘土も、遺跡周辺5 km以内に分布する、①火山性粘土、②砂質珪藻質粘土、③河川砕屑物が混在する粘土、の3通りに分かれることが分かった。同時期の1つの遺跡で、遺跡周辺の異なる粘土原料として用いた理由として、1)同じ集落の中で、土器の形成時期や制作者が異なっていた可能性、2)青銅器時代遺跡には10 km程度の間隔で遺跡が多数存在し、遺跡間で土器の器物に入れて物資がやり取りされていたので、他の遺跡で制作された土器が一緒に出土した可能性、の2つが推定された。
試料は、アルメニア首都エレバンから南西20 kmにある、前期青銅器時代のモフラ・ブルール(Mokhrablur) 遺跡の土器片である。アルメニアは、黒海とカスピ海に挟まれた山岳地帯に位置し、ユーラシアとアラビアの両プレートの収束境界にあるため、火山活動が盛んで、安山岩質・流紋岩質のマグマも多く噴出する。遺跡は、主に安山岩・デイサイトからなる巨大火山であるアラガツ山の南端に拡がる、標高約850 mの平原地帯の河川沿いに位置し、遺跡付近も同山からの火山岩砕屑物で覆われている。気候は大陸性で、やや冷涼で乾燥し、植生が少ない。平原地帯は、紀元前6000年頃の新石器時代までは巨大な淡水湖となっており、その周囲には青銅器時代の遺跡が多数分布している。
モフラ・ブルール遺跡は、紀元前4千年紀~前3千年紀のもので、広大な面積に年代の異なる約11層の文化層が地層のように累重し、日干しレンガ建造物・灌漑跡や高度な金属細工・土器などが出土した。それらのうち、紀元前2900年~前2500年頃の前期青銅器時代の文化層からは、当時のアルメニア全域に広がるクラ・アラクセス文化の第II期を代表する土器が出土した。この土器は、表面が黒色で光沢が出るほど磨かれ、内面が赤褐色という特徴的な様式を持つ。その土器の破片5点をアルメニア科学アカデミーと日本の考古学隊との共同研究の過程で供与されたので、今回の試料とした。
土器片は、厚さ約8~13 mmで、表側は漆黒色で丁寧に磨研され、ガラスのような光沢を持ち、裏側は茶褐色~赤褐色で、磨研されていなかった。薄片の顕微鏡観察では、粘土質のマトリックス中に、多量の円磨された安山岩の岩片や火山ガラスの破片、石英・斜長石・単斜輝石・角閃石などの鉱物粒子が観察された。それら以外に、河川の上流部に由来する変成岩・石灰岩・花崗岩の岩片やカリ長石・方解石の鉱物粒子を微量に含む土器片も1例観察された。岩片や鉱物粒子の量は試料によって大きく異なり、少ない土器片は空隙が少ない緻密な粘土組織なのに対し、岩片の多い土器は細長い不規則状の空隙を多く含む粗雑な組織となっていた。蛍光X線分析による全岩組成の測定では、土器片はアラガツ山の酸性凝灰岩の組成とほぼ同じであった。また、一部の土器片には淡水性珪藻の遺骸が含まれていた。
全体的に土器の材料粘土は良く練られ、その影響で細長い鉱物粒子や空隙が土器の器面に平行に配列していた。1例を除いて、土器の粘土質マトリックスは、光学的異方性を失っており、約700℃以上での焼成が推定された。また、粉末X線回折では、全ての試料でイライトの回折ピークが観察されたが、他の粘土鉱物のピークは確認されなかった。他方、遺跡周辺一帯の表層堆積物や地下浅部の地層および河川堆積物には、その他に緑泥石やスメクタイトの混合層鉱物が含まれていた。スメクタイトの混合層鉱物は550℃の加熱で、緑泥石は700℃~750℃の加熱で、回折ピークが消失する。そのため、周辺土壌から土器が作られた場合には、土器片は700℃以上の温度で焼成されたと考えられた。走査型電顕で観察すると、土器内部の粘土組織が部分溶融した組織も一部に観察され、800~850℃程度まで温度上昇した部分が局部的にあることが確認された。また、今回の土器片は、火山ガラスを多く含むために、埋没による続成作用の影響を受けやすく、全ての試料の粘土基質の一部には微小な柱状の二次鉱物(シンゲナイトK2Ca(SO4)2·H2O)が形成されていた。
試料中の鉱物粒子・岩片の種類・土器の組織・珪藻遺骸の有無などから、土器は3タイプに分けられ、タイプによって材料粘土も、遺跡周辺5 km以内に分布する、①火山性粘土、②砂質珪藻質粘土、③河川砕屑物が混在する粘土、の3通りに分かれることが分かった。同時期の1つの遺跡で、遺跡周辺の異なる粘土原料として用いた理由として、1)同じ集落の中で、土器の形成時期や制作者が異なっていた可能性、2)青銅器時代遺跡には10 km程度の間隔で遺跡が多数存在し、遺跡間で土器の器物に入れて物資がやり取りされていたので、他の遺跡で制作された土器が一緒に出土した可能性、の2つが推定された。