講演情報
[2L-03]1920年代における日仏交流からみたファッションプレート(3)図案家たちが影響を受けた身体とファッション
〇徳山 孝子1、西川 良子1、井上 裕之1 (1. 神戸松蔭女子学院大)
キーワード:
モダン・ガール、雑誌「女性」、「ガゼット・デュ・ボン・トン」誌
目的 日本では、いつ頃からファッションプレートが見かけられるようになったのであろうか。関西から出版された雑誌「女学生画報」があった。のちに中山太陽堂(化粧品会社)が買収して、雑誌「女性」として改題し、クラブ化粧品の宣伝に利用した1)。本研究は、モダン・ガールと言われた女性美を雑誌「女性」を用いて分析するとともに、図案家が描いた女性の身体とファッションの関係についてファッションプレートから模索した。
方法 雑誌「女性」(プラトン社刊)は、1922(大正11)年5月号~1928(昭和3)年5月号までの通巻72冊、出版された。図案家は、山六郎や山名文夫などである。ここでは、雑誌「女性」を用いてモダン・ガールを分析するとともに、図案家が描く表紙と雑誌「ガゼット・デュ・ボン・トン」のファッションプレートを比較した。
結果 雑誌「女性」は、小説、社会風俗、生活文化、芸術などあらゆる角度から新しい女性たちを評論、解説した。その表紙には、美しい西洋女性が描かれた。図案家たちは、新しい女性の表現をフランスのファッションプレートに重ね合わせたのである。今までにない曲線で表現される肉体美、ファッションの流行を感じるドレス、ライフスタイルなど、日本では見たことのない繊細なデザインや鮮やかな色彩、デザインの構図に新しい女性像を託したのである。
[文献] 1)山名文夫;『体験的デザイン史』ダヴィッド社,p.3(1976)
方法 雑誌「女性」(プラトン社刊)は、1922(大正11)年5月号~1928(昭和3)年5月号までの通巻72冊、出版された。図案家は、山六郎や山名文夫などである。ここでは、雑誌「女性」を用いてモダン・ガールを分析するとともに、図案家が描く表紙と雑誌「ガゼット・デュ・ボン・トン」のファッションプレートを比較した。
結果 雑誌「女性」は、小説、社会風俗、生活文化、芸術などあらゆる角度から新しい女性たちを評論、解説した。その表紙には、美しい西洋女性が描かれた。図案家たちは、新しい女性の表現をフランスのファッションプレートに重ね合わせたのである。今までにない曲線で表現される肉体美、ファッションの流行を感じるドレス、ライフスタイルなど、日本では見たことのない繊細なデザインや鮮やかな色彩、デザインの構図に新しい女性像を託したのである。
[文献] 1)山名文夫;『体験的デザイン史』ダヴィッド社,p.3(1976)