講演情報
[P-058]松阪木綿・市木木綿の変遷と伝承
*間瀬 清美1 (1. 名古屋女大)
キーワード:
綿織物、松坂嶋、織機
目的 綿は、種を蒔いてコットンボールのワタから繊維を得る植物繊維である。綿栽培ということで綿織物は、日本でも比較的早くから定着してきた。三重県には代表的な松阪木綿が連綿と受継がれており、他にも市木木綿がある。松阪木綿と市木木綿の変遷の経緯を調べると共にどのように存続し伝承されているかを探ることで、布の地産地消の一助に役立てたい。
方法 トヨタ産業技術記念館図書館と松阪市図書館で資料と文献の調査を行った。松阪もめん手織りセンター、松阪市観光協会、ゆうづる会、向井浩高氏を回り、情報収集した。
結果 日本への綿の伝来は三河木綿が発祥であり、知多木綿は当初は生木綿に晒加工を受けて「伊勢晒」「松坂晒」という名であったため、知多の中島七右衛門は、伊勢から晒技術を学んだ経緯がある。5世紀後半頃、中国大陸から機織りの技術を持って渡来した技術集団が、松阪市東部一帯に住みついて紡績と機織の技術をこの地域に伝えていたことに関与する。温暖な気候と水はけの良い土地、肥料の「干鰯」が揃っていた伊勢湾岸では、良い綿を採集することができた。藍染も盛んで、江戸時代の松阪には40軒余りの染屋があり、藍色の縞柄の「松坂嶋」を打ち出すことができた。糸の太さは30番〜60番までである。市木木綿は、明治時代に御浜町下市木で始まり、最盛期には45軒もの市木木綿に携わる織元や染屋などがあった。松阪もめん手織センター、ゆうづる会などで伝承されている。
方法 トヨタ産業技術記念館図書館と松阪市図書館で資料と文献の調査を行った。松阪もめん手織りセンター、松阪市観光協会、ゆうづる会、向井浩高氏を回り、情報収集した。
結果 日本への綿の伝来は三河木綿が発祥であり、知多木綿は当初は生木綿に晒加工を受けて「伊勢晒」「松坂晒」という名であったため、知多の中島七右衛門は、伊勢から晒技術を学んだ経緯がある。5世紀後半頃、中国大陸から機織りの技術を持って渡来した技術集団が、松阪市東部一帯に住みついて紡績と機織の技術をこの地域に伝えていたことに関与する。温暖な気候と水はけの良い土地、肥料の「干鰯」が揃っていた伊勢湾岸では、良い綿を採集することができた。藍染も盛んで、江戸時代の松阪には40軒余りの染屋があり、藍色の縞柄の「松坂嶋」を打ち出すことができた。糸の太さは30番〜60番までである。市木木綿は、明治時代に御浜町下市木で始まり、最盛期には45軒もの市木木綿に携わる織元や染屋などがあった。松阪もめん手織センター、ゆうづる会などで伝承されている。