講演情報
[学校保健体育-SA-1]男女共習の実際とジェンダー平等な体育の在り方
*佐野 信子1 (1. 立教大学)
<演者略歴>
立教大学スポーツウエルネス学部教授。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程単位取得退学。弘前大学教育学部専任講師を経て、立教大学社会学部専任講師、助教授、現在に至る。3年間の弘前大学在職中は、同僚や附属中学校教諭らと「体育とジェンダー」について議論を重ね、新しい体育の在り方を実践した。
立教大学スポーツウエルネス学部教授。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程単位取得退学。弘前大学教育学部専任講師を経て、立教大学社会学部専任講師、助教授、現在に至る。3年間の弘前大学在職中は、同僚や附属中学校教諭らと「体育とジェンダー」について議論を重ね、新しい体育の在り方を実践した。
本発表は、「男女」がお互いを強く意識し合い、最も男女共習体育の実践が難しいと考えられる、中学校の男女共習体育授業について述べるものである。現行の学習指導要領解説保健体育編では、「原則として男女共習で学習を行うことが求められる」と示されている点をまず確認したい。しかし、「原則」故か未だそれが守られず、男女別習体育を実践し続けている学校が散見されるのが現状である。
さらには、「男女」共習という用語が独り歩きし、「男女」が一緒に体育の授業を受ければよいのだろう、と短絡的に解釈されているようにもみえる。そのため、グループ作りも「男女」同人数で分けられたり、スポーツが苦手な「女子」に配慮したルールで授業が進められたりといった実態が確認できる。これらが、少なからぬ中学校でまかり通っている「男女」共習体育の実際の一部である。
本発表者は、今、希求されているのは「ジェンダー平等な体育」の理念を有した「男女共習体育」であると考えている。
では、「ジェンダー平等な体育」とは、どのようなものであろうか。それは、あらゆるジェンダーの生徒の中で合理的な配慮が必要な生徒には配慮がなされた上で、ジェンダーに関わりなく、生徒達が共に学習することのできる体育ではなかろうか。そのため、グループの構成が同じジェンダーだけの場合もあれば、ランダムなジェンダーになる場合もある。スポーツが苦手な「女子」への配慮ではなく、スポーツが苦手な「学習者」への配慮が必要な場面はあるかもしれない。
このような授業を可能とするためには、体育を離れ、普段の学校生活の中でも、「ジェンダー平等」な実践がなされてなければならないであろう。そして、体育でのこのような試みが浸透していくことによって、「ジェンダー最後の砦」といわれるスポーツを学ぶ体育の時間が、学校内に「ジェンダー平等」を定着させる起爆剤ともなり得るのではないか、と本発表者は考えている。
さらには、「男女」共習という用語が独り歩きし、「男女」が一緒に体育の授業を受ければよいのだろう、と短絡的に解釈されているようにもみえる。そのため、グループ作りも「男女」同人数で分けられたり、スポーツが苦手な「女子」に配慮したルールで授業が進められたりといった実態が確認できる。これらが、少なからぬ中学校でまかり通っている「男女」共習体育の実際の一部である。
本発表者は、今、希求されているのは「ジェンダー平等な体育」の理念を有した「男女共習体育」であると考えている。
では、「ジェンダー平等な体育」とは、どのようなものであろうか。それは、あらゆるジェンダーの生徒の中で合理的な配慮が必要な生徒には配慮がなされた上で、ジェンダーに関わりなく、生徒達が共に学習することのできる体育ではなかろうか。そのため、グループの構成が同じジェンダーだけの場合もあれば、ランダムなジェンダーになる場合もある。スポーツが苦手な「女子」への配慮ではなく、スポーツが苦手な「学習者」への配慮が必要な場面はあるかもしれない。
このような授業を可能とするためには、体育を離れ、普段の学校生活の中でも、「ジェンダー平等」な実践がなされてなければならないであろう。そして、体育でのこのような試みが浸透していくことによって、「ジェンダー最後の砦」といわれるスポーツを学ぶ体育の時間が、学校内に「ジェンダー平等」を定着させる起爆剤ともなり得るのではないか、と本発表者は考えている。
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