講演情報
[T16-O-3]丘陵地と接する沖積平野末端部における完新統―岡山県南部造山古墳地区での例―
*鈴木 茂之1、光本 順1、山口 雄治2、森 将志3、辻本 裕也3 (1. 岡山大学、2. 徳島大学、3. (株)パレオ・ラボ)
キーワード:
造山古墳地区、完新統、堆積相、考古発掘調査、花粉分析
沖積層を対象に、地質学的検討と考古学的検討により、岡山県南部の造山古墳周辺での環境変遷の解明に取り組んでいる。ボーリングコア観察からは地層の堆積環境が推測できる。古土壌層と考えられる層は当時の地表面の推定に利用できる。年代は炭素同位体年代測定によって、植生推定に花粉分析を行った。旧地表面の時代は遺跡発掘調査によって得られた土器による編年を参考にした。調査地域は花崗岩類からなる標高100m以下の丘陵地状の山地と入り組んだ沖積低地からなる。ボーリング調査を行ったのは造山古墳の造成に利用された尾根先端部に近接する沖積低地である。造山古墳後円部北端から50mのライン上に4本(No. 2 ~ 5)ボーリング掘削した。掘削地点の標高は4.54m(No. 2)から4.19m(No. 5)である。各コアでの沖積層と洪積層の境界はNo. 2(標高3.65m)、No. 3(標高3.60m)、No. 4(標高2.15m)、No. 5(標高0m)で、沖積低地側に深くなる。各ボーリングコア試料はすべて陸成層で洪積層と沖積層からなる。沖積層は下部の砂相層と上部の泥古土壌相層に区分できる。
砂相層:灰色からよごれたクリーム色をなし、泥混じりの粗粒から細粒の砂からなる。粗粒な砂がやや優勢である。層理面は不明瞭であるが成層している。淘汰度は普通からやや悪い。砂粒は石英、長石が主体で花崗岩質岩由来である。粗い砂が多く淘汰がやや悪い部分があることから、扇状地成の堆積物の可能性がある。本層の堆積時期は下位と上位の地層から得られた年代値から約1万年前から7千年前頃と推定される。これは岡山平野において急速に海進があった時期である(鈴木ほか,2021)。
泥古土壌相層:構成する堆積物は淡灰色をなす砂混じり泥、黄褐色からクリーム色をなす砂混じり泥、黒色から暗灰色をなす有機質泥に区分できる。淡灰色砂混じり泥は泥質細粒砂を挟むことがあるがほとんど塊状である。粘土から砂からなり淘汰が極悪いことは、一時的な洪水によって堆積したことが示唆される。黄褐色からクリーム色をなす砂混じり泥は粘土質である。上部には鉄分が沈着した根の跡が多く、それは下位の淡灰色をなす泥まで達している。この酸化環境の影響を残す黄色がかった泥層の上面はかつての植生があった地表で、風化土壌化作用を受けたことを示す。有機質泥は微細な植物片を含む。隣接する層との境界は不明瞭な場合が多い。厚さはおよそ10cmから20cmである。炭素同位体年代値と層位関係によって3層(下位、中位、上位)識別できた。下位(No. 5コア標高2.59~2.62m)の有機質泥からは縄文時代を示す7560-7423 cal BPの年代値(2σ暦年代OxCal4.4使用、以下同様)が得られた。中位の有機質泥層はNo. 3、No. 4、No. 5コアに連続している。No. 3コア標高3.75~3.78m試料から2310-2125 cal BPの、No. 4コア標高3.11~3.16m試料から2461-2339 cal BPの、No. 5コア標高3.39~3.42m試料から2853-2760 cal BPの年代値が得られた。これらの年代値はおおよそ弥生時代前期を示す。産状と時代からこの層は岡山平野北部に分布する弥生時代前期のいわゆる「黒色土」に対比されると考えられる。「黒色土」は津島岡大遺跡から津島遺跡にかけて連続し、弥生前期土器を包含する(山本・岩﨑,2008)。古墳に最も近い上位(No. 2コア標高3.74~3.85m)有機質泥の年代値は1295-1177 cal BP(655-773 cal AD)で古墳時代末から奈良時代を示す。この層の標高は中位有機質泥層に近いが、それとは時代と産状が異なる。堆積物にはシルトから細粒砂サイズの植物片を含み、泥の偽礫が認められ、砂の多い部分や粘土質な部分が不規則に混在している。このような不均質な産状は人為的な攪乱があったためと考えられる。新納(2012)はNo. 2コア掘削地点の東方約20mで発掘調査を行い、古墳側に傾いた窪地をうめる土層を周濠内の堆積土としている。このうち12層は黒色をなし埴輪片を含む。このNo. 2コアの有機質泥は新納(2012)の12層に対比できる可能性がある。No. 4コアの沖積層泥古土壌相層を対象に花粉分析を行った。全体にコナラ属花粉が多い。弥生時代前期の有機質泥層直上の砂混じり泥から、マツ属複維管束亜属花粉の増加が検出された。泥古土壌相層は河川の氾濫による堆積物で構成されているが、人間の生活の場となった情報を挟んでいる。
引用文献 新納 泉 編著 (2012) 「岡山市造山古墳群の調査概報」『科研(A)研究成果報告書』鈴木茂之・山口雄治・山本悦世 (2021)「ボーリング調査結果と海水準変動」『中部瀬戸内地域における縄文時代の環境変動と人間活動に関する考古学的研究』.5-11頁山本悦世・岩﨑志保 (2008) 「弥生時代~中世の景観復元と社会における生業の位置づけに関する基礎的研究」『科研(C)研究成果報告書』
砂相層:灰色からよごれたクリーム色をなし、泥混じりの粗粒から細粒の砂からなる。粗粒な砂がやや優勢である。層理面は不明瞭であるが成層している。淘汰度は普通からやや悪い。砂粒は石英、長石が主体で花崗岩質岩由来である。粗い砂が多く淘汰がやや悪い部分があることから、扇状地成の堆積物の可能性がある。本層の堆積時期は下位と上位の地層から得られた年代値から約1万年前から7千年前頃と推定される。これは岡山平野において急速に海進があった時期である(鈴木ほか,2021)。
泥古土壌相層:構成する堆積物は淡灰色をなす砂混じり泥、黄褐色からクリーム色をなす砂混じり泥、黒色から暗灰色をなす有機質泥に区分できる。淡灰色砂混じり泥は泥質細粒砂を挟むことがあるがほとんど塊状である。粘土から砂からなり淘汰が極悪いことは、一時的な洪水によって堆積したことが示唆される。黄褐色からクリーム色をなす砂混じり泥は粘土質である。上部には鉄分が沈着した根の跡が多く、それは下位の淡灰色をなす泥まで達している。この酸化環境の影響を残す黄色がかった泥層の上面はかつての植生があった地表で、風化土壌化作用を受けたことを示す。有機質泥は微細な植物片を含む。隣接する層との境界は不明瞭な場合が多い。厚さはおよそ10cmから20cmである。炭素同位体年代値と層位関係によって3層(下位、中位、上位)識別できた。下位(No. 5コア標高2.59~2.62m)の有機質泥からは縄文時代を示す7560-7423 cal BPの年代値(2σ暦年代OxCal4.4使用、以下同様)が得られた。中位の有機質泥層はNo. 3、No. 4、No. 5コアに連続している。No. 3コア標高3.75~3.78m試料から2310-2125 cal BPの、No. 4コア標高3.11~3.16m試料から2461-2339 cal BPの、No. 5コア標高3.39~3.42m試料から2853-2760 cal BPの年代値が得られた。これらの年代値はおおよそ弥生時代前期を示す。産状と時代からこの層は岡山平野北部に分布する弥生時代前期のいわゆる「黒色土」に対比されると考えられる。「黒色土」は津島岡大遺跡から津島遺跡にかけて連続し、弥生前期土器を包含する(山本・岩﨑,2008)。古墳に最も近い上位(No. 2コア標高3.74~3.85m)有機質泥の年代値は1295-1177 cal BP(655-773 cal AD)で古墳時代末から奈良時代を示す。この層の標高は中位有機質泥層に近いが、それとは時代と産状が異なる。堆積物にはシルトから細粒砂サイズの植物片を含み、泥の偽礫が認められ、砂の多い部分や粘土質な部分が不規則に混在している。このような不均質な産状は人為的な攪乱があったためと考えられる。新納(2012)はNo. 2コア掘削地点の東方約20mで発掘調査を行い、古墳側に傾いた窪地をうめる土層を周濠内の堆積土としている。このうち12層は黒色をなし埴輪片を含む。このNo. 2コアの有機質泥は新納(2012)の12層に対比できる可能性がある。No. 4コアの沖積層泥古土壌相層を対象に花粉分析を行った。全体にコナラ属花粉が多い。弥生時代前期の有機質泥層直上の砂混じり泥から、マツ属複維管束亜属花粉の増加が検出された。泥古土壌相層は河川の氾濫による堆積物で構成されているが、人間の生活の場となった情報を挟んでいる。
引用文献 新納 泉 編著 (2012) 「岡山市造山古墳群の調査概報」『科研(A)研究成果報告書』鈴木茂之・山口雄治・山本悦世 (2021)「ボーリング調査結果と海水準変動」『中部瀬戸内地域における縄文時代の環境変動と人間活動に関する考古学的研究』.5-11頁山本悦世・岩﨑志保 (2008) 「弥生時代~中世の景観復元と社会における生業の位置づけに関する基礎的研究」『科研(C)研究成果報告書』
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