講演情報

[競技スポーツ-A-05]1920年代の日本における女子陸上競技に関する歴史的研究(史)主に短距離走の技術論に着目して

*喜多 綾音1 (1. 筑波大学大学院)
PDFダウンロードPDFダウンロード
1920年代は日本における女子陸上競技の黎明期であった。1922年に日本で初めての女子連合競技大会が開催されたのを皮切りに多くの大会が開催され、特に短距離走では複数の女子アスリートによって顕著な成績が数多く残された。これまでの女子陸上競技史に関する研究では、人見絹枝の競技成績や、彼女が直面した社会的障壁を明らかにしている。
 一方で、当時の女子陸上競技を進展させた要因に焦点を当てた研究は不足しており、特に、各種競技技術や、その習得のためのトレーニングに関する歴史的変遷を明らかにする「スポーツ修練史」の領域から、女子アスリートがどのように優れた記録を樹立したのかについて検討した研究は不十分である。そこで本研究では、女子陸上競技(短距離走)の「技術論」に着目し、短距離走を①加速局面、②中間疾走局面、③減速局面の3局面に分類して分析を行った。方法は、歴史学的手法を用い、当時の女子陸上競技における技術論に関する史料の分析を行った。
 その結果、当時の女子陸上競技(短距離走)には、男子の技術を模倣したものだけではなく、女子の身体的な性質及び、それに対する社会的認識を考慮した、女子に特化した技術論が複数存在していたことが明らかとなった。その1つとして、クラウチング・スタートが挙げられる。当時女子は、スタート時に左右の足底を接地させる穴の位置を前後に近づけることによって、比較的俊敏にスタートすることができると論じられていた。この理由は、当時の「女子は男子よりも筋力が劣っている」という史料上の記述を踏まえると、女子はスタート時に穴の距離が広いと、後脚を前に引き付ける動作が遅れ、その結果俊敏にスタートできなくなると認識されていたからだと考えられる。以上のような女子ならではの技術論の存在は、戦前の日本において、競技記録の向上という側面から女子陸上競技を進展させる一助となったと考えられる。

コメント

コメントの閲覧・投稿にはログインが必要です。ログイン