講演情報

[02社-口-17]審美的職業の身体の捉えられ方見る/見られる身体に関する先行研究の検討から

*髙田 侑子1 (1. 順天堂大学スポーツ健康科学研究科)
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ファッションモデルは痩身意識をあおる存在として社会的に問題視されている。2006年以降、摂食障害によるモデルの急死の報道により痩せすぎモデルの心身への悪影響が明らかになった結果、欧米各国や業界団体が痩せすぎモデルの規制を行った(山田,2019)。また、女性はメディアで細いモデルを目にすることで、現実的な理想の姿を刷り込まれ、同じ姿になりたいと願望を抱くと推測されている(森ら,2012)。ここでモデルは見られる身体としてのみ認識され、記号化されていて、モデル本人がまなざす身体は無視されているといえる。美的労働の概念からサービス業について、身体の提示が主要な職務でないにも関わらず、身体が組織的に統制されていることが指摘されている(西倉,2019)。スポーツにおいても、アスリートが見られる身体としてモノ化されていることが指摘されている(阿部,2017)。しかし、モデルはあくまで身体の提示が基本の職務で、見られる身体の重視は職務と相違しない。そのため、モデルがまなざす身体が扱われなかったのではないだろうか。また、岡(2015)はダンサーの自己の身体に対する感覚に関する議論の少なさを指摘し、その理由を舞踊経験がないものにとってダンサーの身体感覚は特殊な性質と捉えられ、実態を伴った理論展開に至らないためとしている。モデルも同様に、身体感覚の特殊性から理論展開されてこなかったと考えられる。モデルの身体へのまなざしは、記号化されたモデルの実態を明らかにし、モデルを単に理想の姿を刷り込む存在としてではなく、身体との向き合い方を提示する存在として示すことができると考えられる。そのため、なぜモデルの身体へのまなざしが無視されてきたのかを明らかにする必要がある。以上の点について、これまで見る/見られる身体に対して何が語られてきたのか先行研究を検討し、当該分野の研究における課題を提示する。

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