講演情報

[01史-口-04]戦時下における養護訓導の増員・配置計画

*三井 登1 (1. 名寄市立大学)
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養護訓導制度は1941年の国民学校成立と共に導入された。この制度は戦時下における健民健兵政策の一端に位置づくものである。国民学校は、「皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的」とする。総力戦体制の一翼を担う養護訓導は、皇国民の基礎的錬成に位置づく「体位ノ向上」を図るために養護を掌ることになった。体位の向上といっても、結核予防対策、眼病予防、身体虚弱児童の対応等、疾病予防対策が主軸に位置づいていた。学校での衛生管理を掌る養護訓導は、将来の健康な兵力、労働力となる子ども達に対し、極めて重要な役割を担っていた。養護訓導の学校配置は、戦争遂行のための政策の具体化であったからである。学校配置を進めるうえで課題となったのは、養護訓導の量的確保である。養護訓導の資格取得には、養護訓導制度以前に学校衛生の専門職として関わっていた学校看護婦(養護婦)が試験検定によって養護訓導の資格を取得するか、または養成所を通じて無試験検定によって資格を取得するか、主にこの二つの道が用意された。養成制度については、杉浦守邦『養護教員の歴史』(東山書房、1985)では制度の紹介を、七木田文彦「養護訓導の誕生と量的拡大」(瀧澤利行、七木田文彦編集『雑誌「養護」の時代と世界 学校の中で学校看護婦はどう生きたか』大空社、2015年)では養護訓導の量的確保の施策を明らかにしている。報告者はこれまでも試験検定と養成所について本学会で報告してきたが、試験検定の講習の実際、養成所の実態については未解明な部分が多い。養護訓導の早急な量的確保を図る養成の実態を明らかにすることは、養護訓導制度の諸矛盾を捉えることになる。今回の報告では試験検定について検討し、早急な量的確保の施策の課題と養護訓導の実態との関係について触れることができればと思う。なお本報告は科研費基盤C一般(研究代表)の成果の一部である。

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