講演情報

[01史-口-05]大正14年から昭和12年迄の全日本スキー連盟について

*新井 博1 (1. 日本福祉大学)
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大正末頃までにスキーが広く普及すると、大正12年に第1回全日本スキー選手権大会が小樽で開催され、大正14年には全日本スキー連盟(以下、連盟)が誕生する。当初、連盟は小さなスキー組織であったが年々普及発展し、昭和10年頃には全国に組織を持ち斯界で最大規模の団体となり、傘下に数万の会員を抱えスキー界の方向を大きく左右する存在であった。
 今回は、大正14年に誕生し昭和12年に日中戦争が始まるまでの時期における連盟の中央と地方組織に焦点を当てる。この約10年に、誕生当初は競技だけでなく普及や旅行を目的とした連盟が、徐々に昭和15年に冬季オリンピック大会を札幌で開催(不開催)するために、全国の組織を上げて競技力の向上に力を注ぐようになる経緯をみていく。
 当時の日本は、昭和初期から恐慌の影響で立ち行かぬインフレ状況となり市場を求めて満州事変をおこし、軍部の力は強くなった。また、スポーツ界も大国意識を持ち始め、昭和15年の皇紀2600年をオリンピック開催で迎えようとしていた。
 このような状況下で、連盟が競技中心の団体へと性格を変えていく経緯について、連盟中央と地方の組織的変化や競技を重視する姿勢、またオリンピック大会を意識して国際化していく選手強化の取組み等から辿っていく。

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