講演情報
[01史-口-09]東ドイツのスポーツ政策に関する研究身体文化・スポーツ促進訓令(1958ー1960)の分析を中心に
*寳學 淳郎1 (1. 大阪成蹊大学)
本稿では、1950年代の東ドイツスポーツ政策の一端を明らかにするため、東ドイツ時代極秘文書であった「身体文化・スポーツ促進に関する訓令(1958―1960年)の構成、内容、特徴等を明らかにした。結果主に次が明らかになった。①これらの訓令の主な項目は前文、児童・青少年スポーツ、大衆スポーツ、競技スポーツ、科学的研究・専門家の育成、投資・建設活動、スポーツ器材、財政であった。スポーツ政策の主要な関心事が1950年代前半から継続してこれらにあったことが窺える。②「SED中央委員会の決議」では、大衆団体であるドイツスポーツ委員会を中心としたスポーツ組織改革が目指されていたが、スポーツ計画では、国家委員会を中心としたスポーツ組織改革が窺える。しかし年訓令では、1957年に設立されたDTSBが児童・青少年スポーツ、大衆スポーツ、競技スポーツ、専門家の育成などに関与することとなり、DTSBを中心としたスポーツシステムの構築が窺える。③スポーツ計画などと同様、年訓令にもノルマや重点促進種目がみられ、東ドイツが1950年代後半も、スポーツ分野を計画的、重点的に促進しようとしていることが窺える。④児童・青少年スポーツでは、スポーツ後継者の選抜について従来より数多くのことが記されるなど、この時期においても東ドイツにおける競技スポーツ重視が窺える。⑤東ドイツの主なスポーツ関係規定においてスポーツ医学が項目となっているのは1960年の国家身体文化・スポーツ委員会の訓令のみであるが、それ以前の年訓令にスポーツ医学に関することが数多くみられることは注目される。⑥年訓令においても、スポーツ章などが重視され、1950年代前半同様1950年代後半も、東ドイツがソビエトをモデルとしてスポーツを促進しようとしていることが窺える一方で、学校スポーツ共同体の拡大などからは東ドイツの独自性が窺える。
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