講演情報
[00哲-口-04]身体論再考存在論として身体の衰えを考える
*関根 正美1 (1. 日本体育大学)
人間の力が及ばない身体の問題として死の問題がある。身体(肉体)としての死は、人間であるかぎり逃れられない。最先端の生命科学においても死は未だ防ぐことができない。死は最も大きな人間の悩みとして文学や哲学において取り上げられてきた。この論考は、このような死の一歩手前にある身体を問題にする。生物学的に諸機能を失い、現象的に緩慢な動作や不活発な動きとして現れ、実存的に回想と嘆きを引き起こし、社会的に介護や高額医療の対象となり社会的に共同体にとっての負担の対象となる身体である。加齢による身体の衰えの問題が「自分の生き方」の問題に収斂するのであれば、身体そのものは問題にならず、精神修養や宗教的な形而上学の問題として解決を図ることが可能になるからである。しかし、精神の救いではない人間存在の問題として残される身体の「存在」を明らかにすることが本研究の課題である。
本研究は2006年に体育学研究に掲載された発表者の主張を再考し、身体についてのさらなる考察を試みるものである。要するに、当時の自分の論考に見られる考察の不徹底さを反省し、現時点で考える加齢と身体の問題を発表する。身体の問題は体育学の重要な問題群であると同時に哲学の問題でもある。体育学における身体論は哲学における現象学の方法や理論に影響を受けている。そもそも、なぜ哲学の問題として身体を問題にし、それが体育の問題とどう関わるのか。当日の発表では、そのことの意味も含めて述べる予定である。
本研究は2006年に体育学研究に掲載された発表者の主張を再考し、身体についてのさらなる考察を試みるものである。要するに、当時の自分の論考に見られる考察の不徹底さを反省し、現時点で考える加齢と身体の問題を発表する。身体の問題は体育学の重要な問題群であると同時に哲学の問題でもある。体育学における身体論は哲学における現象学の方法や理論に影響を受けている。そもそも、なぜ哲学の問題として身体を問題にし、それが体育の問題とどう関わるのか。当日の発表では、そのことの意味も含めて述べる予定である。
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