講演情報

[00哲-口-05]東京2020大会の批判「理念の不在」に対して「オリンピズム」から応える試みプロセス哲学をてがかりに

*唐澤 あゆみ1 (1. 日本体育大学大学院)
PDFダウンロードPDFダウンロード
第32回オリンピック競技大会(2020/東京)(以下、東京2020大会)は、新型コロナウイルス感染拡大にともなう緊急事態宣言下で開催され、「なぜいまオリンピックなのか」と大会の開催に否定的な意見もあった。東京2020大会に向けられるさまざまな批判が新型コロナウイルスに収斂され、それらの批判の着地点が東京2020大会の理念の不在を指摘するのにとどまる。例えば、佐藤(2022)は、国際オリンピック委員会や東京都などの開催諸アクターが、新型コロナ禍で東京2020大会を開催する大義ならびに理念を示せなかったという。東京2020オフィシャルパートナーであった朝日新聞も、東京2020大会の中止を求めた社説の中で、新型コロナ禍においてオリンピック憲章の理念が失われていると主張している。
 では、理念をもった東京2020大会はどのようにあるべきだったのだろうか。本来ならば東京2020大会を開催する理念は「オリンピズム」でなければならない。オリンピズムはオリンピック全体に係る基本理念だからである。「オリンピズム」という語は、オリンピックの復興者であるピエール・ド・クーベルタン(以下、クーベルタン)によってつくり出された語であるが、クーベルタン自身もオリンピズムに普遍的な定義を与えることに失敗したことを認めている。そのため、東京2020大会の本来的な理念はオリンピズムであるとするならば、「東京2020大会はどのようにあるべきだったのか」という問いに対して、オリンピズムは具体的な道標を示すことができないのである。
 よって、本研究の目的は、東京2020大会によせられた理念の不在という批判に対して、オリンピック全体に係る基本理念である「オリンピズム」から応えることである。定義がない「オリンピズム」という語をプロセス哲学の視点から捉え、現代のオリンピズムの概要について考察する。

コメント

コメントの閲覧・投稿にはログインが必要です。ログイン