講演情報

[00哲-口-11]三橋喜久雄の『體育即生活論』における体育哲学について

*高田 哲史1 (1. 大阪和歌山地域)
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本研究は三橋喜久雄の『體育即生活論』(廣文堂、1925年)にみられる体育哲学について考察することを目的とする。三橋は生命体操の考案者として、大正期から昭和戦前期の学校体育における体操指導などで著名であるが、『體育即生活論』においては体育とは何か、望ましい体育とは何かなど、体育の哲学的な考察(体育哲学)も行っている。大正期から昭和初期にかけて、數川與五郎、大西要、眞行寺朗生、飯塚晶山、畠山源三らが体育の哲学的な考察の必要性やその内容について論じているが、その多くは学校と体育という視点からの学校体育の哲学的な考察であった。三橋の体育哲学の特徴は学校体育にとどまらず、生活一般における体育とは何かと、望ましい体育の在り方を論じた点にある。三橋は生活の中での身体教育がいかに重要であり、身体の在り方がいかに生活の在り方と関係するかを論じた。近年、我が国においても、学校体育だけでなく、生涯を通じての身体教育の必要性も叫ばれている。三橋の論じた体育哲学がどのようなものであったかを考察することは、現代における体育の在り方を再考するうえでも意味があると考える。三橋の体育哲学は、『體育即生活論』の第一 體育思想篇の、第三章「人類文化と體育の本質」、第六章「民衆體育の哲学的考察」、第七章「人格と體育」、第八章「體育の文化的生活に對する職能」、第九章「體育と娯楽」、第十章「遊戯と競技」などに色濃く述べられているが、書籍の題にも表れているように、體育思想篇全体を通じて体育と生活の関係性が論じられている。三橋は体育とは学校体育と考える風潮が強かった当時に、生活の中での体育とは何か、生活の中での望ましい体育の在り方とは何かを論じたと考える。本研究では、力と体育、文化と体育、民衆と体育、人格と体育、娯楽と体育、遊戯・競技という視点から、三橋が論じた生活の中における体育とはどのようなものであったかを考察する。

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