講演情報

[02社-口-06]我が国のスポーツ伝播の場に参加したアクターたち明治36年第5回内国勧業博覧会

*加藤 朋之1 (1. 山梨大学)
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我が国のスポーツの伝播は、「遊戯」として主に学校教育が中心となった。しかし個別の種目を見るとその多くは同じように明治末期に始まっているが、外国人教師による実践、体操伝習所による研究、実践、運動部活動による研究、実践など、それぞれに出自がある。さらにその出自から伝播へとつながり、全国へ拡がってゆく速度や方向、形態は、種目によって大きく異なっている。
 本研究の興味は、その伝播の仕方によってそれぞれの種目がスポーツ界の中に位置付けられ、社会的価値を振り分けられてゆくという点である。
 本研究は、スポーツの伝播の場に参加したアクターたちの振る舞いによって、その後我が国のスポーツが「教育」としての価値を高めて行く、その様相を解明する目的を持っている。
 明治36年、 4月、ある国民体育の振興を謳う全国組織によって、9月、ある老舗運動具商店によって、10月、ある高等教育教員養成学校の運動部によって、スポーツの指導書が編纂されている。そして3月(から7月末)に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会でこの三者は交わっている。実は明治36年は、我が国のスポーツ伝播においてエポックメーキングな年なのである。
 そこで今回の発表では、この明治36年3月1日から7月31日にわたる第5回内国勧業博覧会に注目し、そこで表出したスポーツを巡る磁場の様相をレポートしたい。特に注目するのは媒介としての運動具である。運動具を媒介にしてアクターたちがいかに振る舞い、「教育としてのスポーツ」を作り上げていったのであろうか。

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