講演情報

[P18-05]1900年パリ万国博覧会における日本の地震資料展示と国際的評価

*室谷 智子1 (1. 独立行政法人 国立科学博物館)
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日本において、ジョン・ミルン、ジェームズ・ユーイング、トーマス・グレイらが地震計を開発し、地震観測が本格的に開始されてからおよそ145年になる。今から125年前の1900(明治33)年に開催されたパリ万国博覧会(以下、パリ万博)では、日本から多くの地震資料が出展された。第1回目の万国博覧会が1851(嘉永4)年にロンドンで開催されて以降、1900年パリ万博は来場者がおよそ4800万人という博覧会史上最大規模となった。各国パビリオンのほか、展示内容が18分野121部門に細分化され、各国からの展示物が分野ごとにまとめて展示された。

農商務省臨時博覧会事務局は、1902(明治35)年に『千九百年巴里萬国博覧会 臨時博覧会事務局報告 上・下』(以下、『報告書』)を発行しており、出展資料が選定されるまでの経緯や、各国の展示状況が紹介されている。日本の地震資料は、教育および学術用具部門の資料として、エッフェル塔(1889(明治22)年完成)の南東に位置するシャン・ド・マルス陳列館に展示された。この陳列館の建物は現存せず、跡地一帯は現在、シャン・ド・マルス公園となっている。展示においては、東京帝国大学および震災予防調査会の大森房吉が地震学出品物取扱の主任官に任命され、現地での設置と説明は、のちに震災予防調査会の会長となる真野文二(東京帝国大学工科大学教授)が担当した。

『震災予防調査会報告第40号附録』(震災予防調査会, 1903)には、パリ万博で展示された地震資料を紹介した「巴里萬國大博覧會ノ大賞」と題する記事が掲載されている。1891(明治24)年濃尾地震を機に設立された震災予防調査会は、震災予防に重要なのは地震や地動を観測することで、そのために地震計の開発や改良を行い、大きな成果を上げてきたとして、大震計、強震計、弱震計、地動計、傾斜計、簡単地震計、器械的感震器、発震時計、地震動雛形、震災予防調査会報告書摘要(報告書の一部を英語もしくは仏語に翻訳したもの)、震災予防調査会報告書(第1号~第29号、附録1冊、英文2冊の計32冊)を出品し、東京帝国大学理科大学地震学教室は普通地震計を出品した。ここで記された大震計は田中舘式大震計、弱震計は大森式微動計、簡単地震計はユーイング式円盤型地震計であると思われる。『報告書』には地震計の展示風景写真が掲載されており、写真からは大森式地動計、大森式微動計、田中舘式大震計が確認できる。

『報告書』によれば、教育分野において官庁から出展された中で最も高く評価された展示は、「地震機械及び馬の解剖模型」と記されており、地震資料は教育部門で大賞(Grand Prix)を受賞した。前述の展示風景の写真では、Grand Prixのプレートも確認できる。『震災予防調査会報告第40号附録』には、大賞の賞状が2分の1縮尺で掲載されているが、現物は今のところ発見されていない。震災予防調査会もしくは東京帝国大学地震学教室に渡っていたのであれば、それらの資料を所蔵する東京大学地震研究所または国立科学博物館に現存する可能性がある。さらに、1902年4月24日に発行された官報でも、農商務省の「巴里萬国大博覧會本邦出品者受賞人名」の「大賞」の項目に、「地震計其他 震災予防調査会・理科大学地震学教室」と紹介されている。

上記のように、日本における地震学や地震観測は、地震が比較的少ないヨーロッパの地において、万博という広く一般市民が集まる場で早くから関心を集めていたことが分かる。パリ万博が単なる国別展示ではなく、細分化された分野ごとに展示されていたことも、その関心を集めた一因であるのかもしれない。