講演情報
[S23-06][招待講演]松代地震から判ること
*松浦 律子1 (1. 公益財団法人地震予知総合研究振興会)
1965年8月3日に微小地震レベルで開始した松代地震は,地震予知研究計画開始時で,多種観測(殆ど手動)が当時としては時空間共に密に実施された貴重な活動だ.松代群発全盛期には全国的に他の有感地震は大変少なく,為に予知研究計画参加全機関が競って松代周辺で観測を実施した.信号増幅は真空管を使い交流電源からの60Hz雑音に悩まされ,ゼンマイ時計はラジオの時報で毎日Δtを調べて補正せねば0.1秒精度も厳しく,一臨時観測点の機材が2tトラック1台を埋め尽くす時代,観測技術レベルの制約は逃れられなかったが,新計画スタートに相応しい多種多様なデータを先輩達は意欲的に必死で取得したのである.当時小学校低学年生だった私が松代地震の第一人者に成れたのは,当時萩原研技官として保科観測点を担当した唐鎌郁夫さんがD論解析を横目で見ていてある日「点過程解析は地震の時刻があればできるよね?松代群発の1点均質データなら作れるよ(あるよ,ではありません!).」と言ってくれたことから始まった.点過程解析をすると,面白いように次々と活動経過が見えてくると共に,多様な現象と発生率の変化とが同期しており,「水噴火」という大雑把な原因論以上には発生過程が解明されていなかったこの現象を定量的に検討できたのである.さらに噴火した水は松代断層出現前までは狭い旧火道付近に閉じ込められてシングルフォースの外部圧力源として,出現後は地震発生部分の空隙水として,ステージによってその圧力レベルを変化させて多様なその働きを地震活動度に残し,空隙水の量と圧とでETAS効果が変ることも判った.
有感地震は開始から1年2ヶ月で61322回と6万回を越え,活動ピークは1966年4月と8月と2回あるが,4月には1日661回有感,およそ二分に1回有感地震が発生するという活発さであった.萩研は強震計である加速度計で近地観測した.
この群発は,第三紀火山皆神山の下に,上部マントル起源の合わせると直径1km球相当量のダイアピル状マグマから分離した水が,地下数十kmから少なくとも数年以上かけて大凡二群になって上昇したことで発生した.本来なら地震が発生し難い地質条件である中央隆起帯の中で当初は皆神山噴火時の火道跡経由で浅部へと徐々に上昇した水は,シングルフォースの外部力源として皆神山を徐々に隆起させながら,直下に小地震を頻発させた(Ⅰ,Ⅱ).この水はFe2O3, Ca,CO2に富んでおり,1966年3月12日数km以浅に達すると封圧低下で炭酸ガスが分離・発泡し体積が急膨張した(Ⅲ).これが皆神山噴火時に形成された透水性の悪い浅部チェンバー状部分に閉じ込められた状態で起きたため,地震発生率は急上昇し,1966年4月初旬の皆神山直下の地震発生最盛期となった.4月11日朝,増大した圧力にチェンバーが大きく破断して,地表にはWNW-ESE方向の松代断層と呼ばれる地割れが出現したし,チェンバーの破壊で一気に逃げ道を得た炭酸ガスが抜けたことで,地震発生率は半時間以内に一端急落したし,発泡し始めた期間に見られていた,日の出・日没と1時間位相が遅れたほぼ24時間周期の地震発生率の周期的増減も,ガスが充満しなくなったこの日に終了した(Ⅲ→Ⅳ).しかし深部からの水の供給は十分であったため,急落から数日後にはチェンバーから周辺に浸潤する分と深部からの供給とが平衡状態になって水は地震発生にとって一定の圧力源となり,地震の発生率は指数関数的減衰となった(Ⅳ).8月になると第二陣の上昇水によって,地震活動の活発化,活動域のNE-SW方向への伸長,地表への水の湧出(Ⅴ)が起きた.9月14日遂に水の供給は尽きて外部力源は消滅し,地震活動は余震風に減衰し始めた(Ⅵ).元々地震が発生し易かった拡大活動域の北東・南西の両端部では60年以上経過した現在も時折中粒の地震発生が見られる.
ETAS効果は水が地震発生場所に至っていないⅡ,Ⅲおよび低圧状態下のⅥでは全体の1/4程度の地震を発生させたが,地震発生場所で加圧された空隙水として機能したⅣ,Ⅴ期には半分の地震はETAS効果によった.過渡期のⅢ→Ⅳは著しい非平衡状態が想像されるがETAS効果は15%と小さく,その減衰も指数関数的で異質である.時間に反比例的な余震の減衰には空隙水の関与が必須である証左と考える.地震活動時系列解析は累積地震数推移に合致するモデルの精査に尽きる.
詳細はhttps://doi.org/10.1007/s00024-005-2672-0 を.
有感地震は開始から1年2ヶ月で61322回と6万回を越え,活動ピークは1966年4月と8月と2回あるが,4月には1日661回有感,およそ二分に1回有感地震が発生するという活発さであった.萩研は強震計である加速度計で近地観測した.
この群発は,第三紀火山皆神山の下に,上部マントル起源の合わせると直径1km球相当量のダイアピル状マグマから分離した水が,地下数十kmから少なくとも数年以上かけて大凡二群になって上昇したことで発生した.本来なら地震が発生し難い地質条件である中央隆起帯の中で当初は皆神山噴火時の火道跡経由で浅部へと徐々に上昇した水は,シングルフォースの外部力源として皆神山を徐々に隆起させながら,直下に小地震を頻発させた(Ⅰ,Ⅱ).この水はFe2O3, Ca,CO2に富んでおり,1966年3月12日数km以浅に達すると封圧低下で炭酸ガスが分離・発泡し体積が急膨張した(Ⅲ).これが皆神山噴火時に形成された透水性の悪い浅部チェンバー状部分に閉じ込められた状態で起きたため,地震発生率は急上昇し,1966年4月初旬の皆神山直下の地震発生最盛期となった.4月11日朝,増大した圧力にチェンバーが大きく破断して,地表にはWNW-ESE方向の松代断層と呼ばれる地割れが出現したし,チェンバーの破壊で一気に逃げ道を得た炭酸ガスが抜けたことで,地震発生率は半時間以内に一端急落したし,発泡し始めた期間に見られていた,日の出・日没と1時間位相が遅れたほぼ24時間周期の地震発生率の周期的増減も,ガスが充満しなくなったこの日に終了した(Ⅲ→Ⅳ).しかし深部からの水の供給は十分であったため,急落から数日後にはチェンバーから周辺に浸潤する分と深部からの供給とが平衡状態になって水は地震発生にとって一定の圧力源となり,地震の発生率は指数関数的減衰となった(Ⅳ).8月になると第二陣の上昇水によって,地震活動の活発化,活動域のNE-SW方向への伸長,地表への水の湧出(Ⅴ)が起きた.9月14日遂に水の供給は尽きて外部力源は消滅し,地震活動は余震風に減衰し始めた(Ⅵ).元々地震が発生し易かった拡大活動域の北東・南西の両端部では60年以上経過した現在も時折中粒の地震発生が見られる.
ETAS効果は水が地震発生場所に至っていないⅡ,Ⅲおよび低圧状態下のⅥでは全体の1/4程度の地震を発生させたが,地震発生場所で加圧された空隙水として機能したⅣ,Ⅴ期には半分の地震はETAS効果によった.過渡期のⅢ→Ⅳは著しい非平衡状態が想像されるがETAS効果は15%と小さく,その減衰も指数関数的で異質である.時間に反比例的な余震の減衰には空隙水の関与が必須である証左と考える.地震活動時系列解析は累積地震数推移に合致するモデルの精査に尽きる.
詳細はhttps://doi.org/10.1007/s00024-005-2672-0 を.

