講演情報
[T3-O-7]山形県置賜地方の二大石材−「高畠石」と「成島石」
*高橋 直樹1 (1. 千葉県立中央博物館)
キーワード:
石材、山形県、置賜地方、凝灰岩
山形県南部の置賜地方で主として近世〜近代における石造物や建築用材等の石材として使用された岩石としては,第一に東置賜郡高畠町で産出する「高畠石」が挙げられる(高畠町郷土資料館, 2002;髙柳, 2015など).高畠町を中心に置賜盆地のほぼ全域で使用例が見られ,石切り跡が観光スポットにもなっている.一方,これまでにあまり注目されてこなかった石材として,米沢市成島町で採石され,米沢市を中心に特に置賜盆地西部で盛んに使用されていた「成島石」が存在する.その認知度の違いは,高畠石が比較的最近(平成22年)まで切り出されていたのに対して,成島石は昭和30年頃に切り出しが終了していることが大きいであろう.本研究では,特に成島石について,地質や岩石学的特徴,用途や使用地域,石切場の状況等について調査したので,高畠石との相違点も含めて報告する.
高畠石は,水中堆積と推定される淡緑色を示す比較的軟質な凝灰岩で,大粒の繊維状軽石を多量に含むほか,硬質の類質・異質岩片を割合に多く含む.大粒の繊維状軽石は風化しやすく,失われて穴になっている場合が多く,岩石全体として穴の多い独特の外観を呈する.類質岩片としては,安山岩,流紋岩などの火山岩,異質岩片としては,基盤の花崗岩類や頁岩などが認められる.地質としては,新第三紀中新世中〜後期の赤湯層下部とされている(山形県, 1972).一方,成島石は,ベージュ色の外観を示し,押しつぶされガラス化した大粒のレンズ状の暗灰色〜灰色軽石を含む溶結凝灰岩で,陸上堆積と推定される.自形を示す高温型石英や黒雲母の結晶を多量に含む.また,流紋岩の岩片を少量含んでいる.地質としては,新第三紀中新世後期の才津層(山形県, 1970)で,岩相から柳沢・山本(1998)の才津火砕流堆積物に対比される.大峠カルデラを給源とすると推定されている(山元,1994).
高畠石の石切場は高畠町安久津地区に大規模なものがあり,現在は,「瓜割石庭公園」として公開されている.このほかにも,高畠町内を中心に10カ所程度の石切場が報告されている(髙柳, 2015).一方,成島石の石切場は,米沢市広幡町成島地区の西方に位置する「石切山」の山頂部に存在する.戦国時代の山城(矢子山城)の跡地が近世以降に石切場として転用された可能性が指摘されている(米沢市教育委員会, 1994, 1995).東麓の成島地区には「石切町」という町名が残っている.
高畠石の用途としては,建物土台,石垣,石段などの建築用材が目立つが,原産地に近い地域では,墓石や石仏,石碑,石柱,鳥居などの石造物にも広く使用されている.中世の板碑も見られ,かなり古くから使用されてきたようである.成島石は,主として石造物として利用され,近世の石仏や石塔,墓石などが多く,特に「マンネンドウ」と呼ばれる家型の墓石が特徴的である.
成島石は米沢市内や川西町南部で多量に使用されているが,そこから離れるに従って数は急速に減少し,南陽市や高畠町ではまれである.一方,高畠石は高畠町,南陽市を中心に置賜盆地内で広く使用されている.ただし,米沢市では石造物の多くは成島石製で,高畠石は石造物の土台など建築用材に使用されることが多い.他地域でも高畠石の用途は建築用材が主体である.これは,高畠石は穴が多く,石造物としての利用には不向きという岩質に基づくものと推測される.
以上のように,高畠石と成島石は,石切場の位置に加えて,岩質の違いも影響し,分布範囲や用途が割合に異なっていると言える.
なお,上記の2つの石材のほか,米沢盆地南東部の一年峰で切り出されていた石材(海上石)は,淡緑色を示し気泡も多く見られるなど,見かけは高畠石に似ているが,高温型石英や黒雲母を多く含むなど,岩質は成島石に類似する.胚胎する地層は,赤湯層ではなく,壱年峰層,笊籬層とされており(山形県, 1970),赤湯層とは異なるカルデラ噴火を起源とする堆積物と考えられる.この石材の使用範囲等はまだ十分に確認できておらず,今後,調査を進めたいと考える.
[引用文献]
高畠町郷土資料館, 2002, たかはた・石の文化をさぐる.
髙柳俊輔, 2015, 公益財団法人山形県埋蔵文化財センター研究紀要, (7), 77-96.
山形県, 1970, 5万分の1地質図幅説明書「米沢−関」.39p.
山形県, 1972, 5万分の1地質図幅説明書「赤湯」.18p.
山元孝広, 1994, 地調月報, 45, 135-155.
柳沢幸夫・山元孝広, 1998, 5万分の1地質図幅 玉庭地域の地質.地質調査所, 94p.
米沢市教育委員会, 1994, 米沢市埋蔵文化財調査報告書第41集.22p.
米沢市教育委員会, 1995, 米沢市埋蔵文化財調査報告書第49集.22p.
高畠石は,水中堆積と推定される淡緑色を示す比較的軟質な凝灰岩で,大粒の繊維状軽石を多量に含むほか,硬質の類質・異質岩片を割合に多く含む.大粒の繊維状軽石は風化しやすく,失われて穴になっている場合が多く,岩石全体として穴の多い独特の外観を呈する.類質岩片としては,安山岩,流紋岩などの火山岩,異質岩片としては,基盤の花崗岩類や頁岩などが認められる.地質としては,新第三紀中新世中〜後期の赤湯層下部とされている(山形県, 1972).一方,成島石は,ベージュ色の外観を示し,押しつぶされガラス化した大粒のレンズ状の暗灰色〜灰色軽石を含む溶結凝灰岩で,陸上堆積と推定される.自形を示す高温型石英や黒雲母の結晶を多量に含む.また,流紋岩の岩片を少量含んでいる.地質としては,新第三紀中新世後期の才津層(山形県, 1970)で,岩相から柳沢・山本(1998)の才津火砕流堆積物に対比される.大峠カルデラを給源とすると推定されている(山元,1994).
高畠石の石切場は高畠町安久津地区に大規模なものがあり,現在は,「瓜割石庭公園」として公開されている.このほかにも,高畠町内を中心に10カ所程度の石切場が報告されている(髙柳, 2015).一方,成島石の石切場は,米沢市広幡町成島地区の西方に位置する「石切山」の山頂部に存在する.戦国時代の山城(矢子山城)の跡地が近世以降に石切場として転用された可能性が指摘されている(米沢市教育委員会, 1994, 1995).東麓の成島地区には「石切町」という町名が残っている.
高畠石の用途としては,建物土台,石垣,石段などの建築用材が目立つが,原産地に近い地域では,墓石や石仏,石碑,石柱,鳥居などの石造物にも広く使用されている.中世の板碑も見られ,かなり古くから使用されてきたようである.成島石は,主として石造物として利用され,近世の石仏や石塔,墓石などが多く,特に「マンネンドウ」と呼ばれる家型の墓石が特徴的である.
成島石は米沢市内や川西町南部で多量に使用されているが,そこから離れるに従って数は急速に減少し,南陽市や高畠町ではまれである.一方,高畠石は高畠町,南陽市を中心に置賜盆地内で広く使用されている.ただし,米沢市では石造物の多くは成島石製で,高畠石は石造物の土台など建築用材に使用されることが多い.他地域でも高畠石の用途は建築用材が主体である.これは,高畠石は穴が多く,石造物としての利用には不向きという岩質に基づくものと推測される.
以上のように,高畠石と成島石は,石切場の位置に加えて,岩質の違いも影響し,分布範囲や用途が割合に異なっていると言える.
なお,上記の2つの石材のほか,米沢盆地南東部の一年峰で切り出されていた石材(海上石)は,淡緑色を示し気泡も多く見られるなど,見かけは高畠石に似ているが,高温型石英や黒雲母を多く含むなど,岩質は成島石に類似する.胚胎する地層は,赤湯層ではなく,壱年峰層,笊籬層とされており(山形県, 1970),赤湯層とは異なるカルデラ噴火を起源とする堆積物と考えられる.この石材の使用範囲等はまだ十分に確認できておらず,今後,調査を進めたいと考える.
[引用文献]
高畠町郷土資料館, 2002, たかはた・石の文化をさぐる.
髙柳俊輔, 2015, 公益財団法人山形県埋蔵文化財センター研究紀要, (7), 77-96.
山形県, 1970, 5万分の1地質図幅説明書「米沢−関」.39p.
山形県, 1972, 5万分の1地質図幅説明書「赤湯」.18p.
山元孝広, 1994, 地調月報, 45, 135-155.
柳沢幸夫・山元孝広, 1998, 5万分の1地質図幅 玉庭地域の地質.地質調査所, 94p.
米沢市教育委員会, 1994, 米沢市埋蔵文化財調査報告書第41集.22p.
米沢市教育委員会, 1995, 米沢市埋蔵文化財調査報告書第49集.22p.
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