講演情報
[T3-O-9]3D技術を活用した足柄層群塩沢層の小規模石切場に残る採石痕の観察
*田口 公則1 (1. 神奈川県立生命の星・地球博物館)
キーワード:
石切場跡、採石痕、採石行動、3Dモデル シェーディング、地産地消石材
はじめに
2016年に開催した神奈川県立歴史博物館と生命の星・地球博物館による特別展「石展」以来,神奈川県内の石材マップの整備を続けている[1][2][3].県西部の火山岩を種とする“堅石”の石材産地は概ね把握が進んでいるが,小規模に採石が行われていた地産地消の“軟石”石材は情報が少なく産地同定が難しい状況にある.石材産地と石材利用の把握が重要な課題である.前者は石切場跡の認定,調査が,後者は文献記録や聞き取り情報が重要となる.
石切場跡の認定は,現場に残る石材や採石痕が有力な証拠となる.しかしながら,いわゆる採石痕(岩壁に残る道具による痕)が採石の証拠となるとは限らない.たとえば,切り通しを作る際の開削が残した痕跡という場合もある.多面的に情報を把握,整理しながら,地域石材を捉えていくことが“軟石”石材の学術的進展につながる.
本発表では,神奈川県山北町川西,諸淵の鮎沢川右岸に残る石切場跡の調査経過報告である.とくに,フォトグラメトリによって得られた3Dモデルを活用することで,露頭に残る採石痕を鮮明化し,推測される採石工程などを報告する.
石切場の概要
石切場跡は,山北町川西の諸淵,鮎沢川の右岸に位置する.この石切場跡のすぐ下流に化石カキ礁の露頭があり,巡検Stopとして知られている[4].また,この石切場の側近でメタセコイア属・オオバラモミ球果化石を産出し,年代を0.8~0.9Maの層準にあたる[5].
川岸に面した石切場は,およそ幅14 m,高さ4.5 mで小規模である.足柄層群塩沢層下部にあたり砂岩礫岩互層の砂岩部の砂岩を切り出している.露頭下部では,ハマグリなどの貝化石層が認められる.
採石痕の可視化
石切場跡の壁(左右,奥の3面)には,複数段の斜めに刻まれた筋状の凸凹が認められる.これが採石痕のひとつである.しかし,露頭面は,コケ類など付着物があるため採石痕の観察の妨げとなる.そこで,石切場跡の壁面を撮影し,その画像をもとにフォトグラメトリにより3Dモデルを構築した(3DF Zepher liteを使用).さらに3Dモデルをシェーディング(陰影処理)することで,凸凹を強調し,採石痕を鮮明に可視化した.
採石痕を読み取る
石切場壁面に認められる斜め筋状の採石痕は,採石に使用した工具(ツル)痕である.その1段(層)の高さ30 cm~40 cmが採石分の厚さとなる.斜めの筋状の痕跡は,その向きからツルを持った人の作業位置が特定可能となる.
斜めの筋状の痕跡の向きが場所によって変わる箇所が認められる.すなわち,作業位置をときに変えたことが見て取れる.壁面との位置関係による作業位置の制約,あるいはクラックにより石材が割れやすい(もしくは割れた)ことによる制約などの行動が推測される.また,露頭面に穴状の凹みが連なる箇所がある.ちょうど貝化石を含む層にあたることから,おそらく化石採集による凹みであると推測する.
おわりに
今回,報告した石切場については,地産地消の小規模な石切場であり,詳細は不明である.いわゆる「○○石」というローカルな呼称も不明であり,その利用も不明である.非凝灰質の砂礫岩を石材に用いること自体がマイナーであり,まさに地産地消の可能性が高い.この石切場を産地とする石材の識別には岩相が頼りとなるが,ハマグリ化石を含むことも重要な証拠となろう.貝化石を含む砂礫岩の石材が流通している可能性が高い.
わずか100万年前ほどの海成堆積物(非凝灰質で)が石材利用されていることも希有な事例といえる.固結度が高いことの理由は,伊豆弧衝突の現場の堆積物であることに求められるが,これは地質が関わる文化的地域資源の一例としても意義を持つと考える.
文献
[1] 神奈川県立歴史博物館[編](2016)『石展─かながわの歴史を彩った石の文化』., 119p.
[2] 神奈川県立生命の星・地球博物館[編](2016)神奈川のおもな石材産地と石造品., 4p.
[3] 神奈川県立歴史博物館[編](2024)かながわの地質・岩石と石材 普及版.,4p.
[4] 小田原 啓ほか(2011)伊豆地塊北端部,伊豆衝突帯の地質構造.地質学雑誌, 117(Suppl), S135–S152.
[5] 松島義章・小泉明裕(1993)足柄層群塩沢層下部(前期更新統の後期)からシカ類肢骨片と,メタセコイア属.オオバラモミ球果化石の産出., 神奈川自然誌資料, (14), 7-10.
本発表にあたりJSPS科研費(課題番号JP22K01025およびJP23K02805)を使用した.
2016年に開催した神奈川県立歴史博物館と生命の星・地球博物館による特別展「石展」以来,神奈川県内の石材マップの整備を続けている[1][2][3].県西部の火山岩を種とする“堅石”の石材産地は概ね把握が進んでいるが,小規模に採石が行われていた地産地消の“軟石”石材は情報が少なく産地同定が難しい状況にある.石材産地と石材利用の把握が重要な課題である.前者は石切場跡の認定,調査が,後者は文献記録や聞き取り情報が重要となる.
石切場跡の認定は,現場に残る石材や採石痕が有力な証拠となる.しかしながら,いわゆる採石痕(岩壁に残る道具による痕)が採石の証拠となるとは限らない.たとえば,切り通しを作る際の開削が残した痕跡という場合もある.多面的に情報を把握,整理しながら,地域石材を捉えていくことが“軟石”石材の学術的進展につながる.
本発表では,神奈川県山北町川西,諸淵の鮎沢川右岸に残る石切場跡の調査経過報告である.とくに,フォトグラメトリによって得られた3Dモデルを活用することで,露頭に残る採石痕を鮮明化し,推測される採石工程などを報告する.
石切場の概要
石切場跡は,山北町川西の諸淵,鮎沢川の右岸に位置する.この石切場跡のすぐ下流に化石カキ礁の露頭があり,巡検Stopとして知られている[4].また,この石切場の側近でメタセコイア属・オオバラモミ球果化石を産出し,年代を0.8~0.9Maの層準にあたる[5].
川岸に面した石切場は,およそ幅14 m,高さ4.5 mで小規模である.足柄層群塩沢層下部にあたり砂岩礫岩互層の砂岩部の砂岩を切り出している.露頭下部では,ハマグリなどの貝化石層が認められる.
採石痕の可視化
石切場跡の壁(左右,奥の3面)には,複数段の斜めに刻まれた筋状の凸凹が認められる.これが採石痕のひとつである.しかし,露頭面は,コケ類など付着物があるため採石痕の観察の妨げとなる.そこで,石切場跡の壁面を撮影し,その画像をもとにフォトグラメトリにより3Dモデルを構築した(3DF Zepher liteを使用).さらに3Dモデルをシェーディング(陰影処理)することで,凸凹を強調し,採石痕を鮮明に可視化した.
採石痕を読み取る
石切場壁面に認められる斜め筋状の採石痕は,採石に使用した工具(ツル)痕である.その1段(層)の高さ30 cm~40 cmが採石分の厚さとなる.斜めの筋状の痕跡は,その向きからツルを持った人の作業位置が特定可能となる.
斜めの筋状の痕跡の向きが場所によって変わる箇所が認められる.すなわち,作業位置をときに変えたことが見て取れる.壁面との位置関係による作業位置の制約,あるいはクラックにより石材が割れやすい(もしくは割れた)ことによる制約などの行動が推測される.また,露頭面に穴状の凹みが連なる箇所がある.ちょうど貝化石を含む層にあたることから,おそらく化石採集による凹みであると推測する.
おわりに
今回,報告した石切場については,地産地消の小規模な石切場であり,詳細は不明である.いわゆる「○○石」というローカルな呼称も不明であり,その利用も不明である.非凝灰質の砂礫岩を石材に用いること自体がマイナーであり,まさに地産地消の可能性が高い.この石切場を産地とする石材の識別には岩相が頼りとなるが,ハマグリ化石を含むことも重要な証拠となろう.貝化石を含む砂礫岩の石材が流通している可能性が高い.
わずか100万年前ほどの海成堆積物(非凝灰質で)が石材利用されていることも希有な事例といえる.固結度が高いことの理由は,伊豆弧衝突の現場の堆積物であることに求められるが,これは地質が関わる文化的地域資源の一例としても意義を持つと考える.
文献
[1] 神奈川県立歴史博物館[編](2016)『石展─かながわの歴史を彩った石の文化』., 119p.
[2] 神奈川県立生命の星・地球博物館[編](2016)神奈川のおもな石材産地と石造品., 4p.
[3] 神奈川県立歴史博物館[編](2024)かながわの地質・岩石と石材 普及版.,4p.
[4] 小田原 啓ほか(2011)伊豆地塊北端部,伊豆衝突帯の地質構造.地質学雑誌, 117(Suppl), S135–S152.
[5] 松島義章・小泉明裕(1993)足柄層群塩沢層下部(前期更新統の後期)からシカ類肢骨片と,メタセコイア属.オオバラモミ球果化石の産出., 神奈川自然誌資料, (14), 7-10.
本発表にあたりJSPS科研費(課題番号JP22K01025およびJP23K02805)を使用した.
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