講演情報
[T3-O-10]東谷採掘場跡の大谷石と、これを用いた近代建築の構成材について
*橋本 優子1、相田 吉昭2、石川 智治3 (1. 宇都宮大学大学院 地域創生科学研究科(博士後期課程)、2. 宇都宮大学農学部、3. 宇都宮大学工学部)
キーワード:
大谷石、石材、フランク・ロイド・ライト、帝国ホテル ライト館
[はじめに] 栃木県宇都宮市田下町の東谷採掘場跡(ホテル山)は1919年、フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル新館(ライト館)の着工に伴い、露天掘の採掘場として開掘された。1923年にライト館が竣工したのちも採掘は続き、現在は廃坑となっている。ホテル山については散発的な報告が成されてきたが、いずれも紹介記事にとどまり、その内容は必ずしも正確ではない。ライトは自伝(1932)のなかで、大谷石を溶岩と書き表した。帝国ホテルの『百年史』(1990)によると、ライト自身が大谷を訪れたという。大谷石の分類と特質、産地の情況は大蔵省臨時議院建築局(1922)が詳細に報じたが、国の最終的な現地調査がホテル山の開掘に先んじる1919年1月だったことから、この採掘場に関する記述はない。視察・買付実務のため、翌年に到来したのが東京のライト事務所所員でライト館の実施設計、現場監理に参画したアントニン・レーモンドだった点は、彼の自伝(1973)に窺い知ることができる。だが、ホテル山の石材の固有性や特質に触れる解説は見当たらない。その後、岩石・石材としての大谷石に関する研究は地質学、建築工学、近代建築史、地域文化史などの各分野で進んだ。ただしホテル山の石材と、これを用いた歴史的建造物の旧石材を比較検証する科学的な先行研究は皆無に等しい。そこで本研究ではホテル山の現状の調査、関係者への取材、当地での原石材と旧石材の採取、ライトやライト事務所所員が関わり、ホテル山の石材による近代建築の建物構成材との比較・分析に着手した。
[調査方法] ホテル山の現状、その原石材と旧石材(安野家石蔵の建物構成材)、博物館 明治村 帝国ホテル玄関(ライト館の部分移築)、自由学園明日館(中央棟・東西教室棟。ライト+遠藤新:竣工1921・22・25年)、同・講堂(遠藤:竣工1927年)、同・敷地内敷石(昭和戦後に施設整備)、ヨドコウ迎賓館(山邑家住宅。ライト+遠藤・南信:竣工1924年)の旧石材を調査した。また、ホテル山の最後の石工棟梁・三條久氏(1937年生まれ)に取材を行った。ホテル山はライト館の竣工まで帝国ホテル傘下の東谷石材商店、1943/44年頃まで安野石材店、1988/89年頃まで安野石材店と屏風岩石材部、平成時代まで三條氏と屏風岩が採掘に携わる。三條氏は20歳から安野石材店で働き、番頭として同店から採掘場と屋号を受け継いだ。
[試料の製作、観察と分析] ホテル山で採取した原石材と旧石材、博物館 明治村、自由学園明日館、ヨドコウ迎賓館の旧石材を用い、100×100×50/25mmの石材サンプル12点と、岩石薄片(乾式研磨法)を多数製作し、肉眼、実体・偏光顕微鏡で石材組織の観察と鉱物組成分析を行った。三條氏には歴史的建造物の石材サンプルを呈示し、その特徴について意見を伺う。大学研究室では石材サンプルのミソと色合いに注目し、感性評価実験を進めている。
[調査結果と今後の課題] 三條氏への取材を通じてホテル山の歩みと、石工棟梁から見た当地産の石材の特徴が確認でき、石材サンプル、岩石薄片の組織観察と鉱物組成からは、地質学的観点から原石材、旧石材の岩石学的・視覚的な性質に迫る契機となった。大谷地区で現在採掘され、流通しているものと比較するならば、ホテル山の石材は全般的にミソが少なく、その周囲が硬い上質な白目の大谷石であること、ゆえに旧石材の表面が年月と風雨に晒され劣化していても、その内部は未だに新鮮なことなどが分かった。だが同じホテル山であっても原石材の採取地点、採掘年代により、含まれるミソや岩片が異なること、歴史的建造物の構成材も違いが認められることや、当地と周囲の地形、大谷層における岩相層準など、解明すべき事柄は多い。今後はこうした観点から調査・研究を継続し、実証的な報告を目指したい。
[謝辞] 三条久氏ご夫妻には調査に際してのご高配、博物館 明治村、自由学園明日館、芦屋市教育委員会には旧石材のご提供、大谷石産業にはサンプル製作、芙蓉地質には薄片製作でご協力をいただきました。皆様に御礼を申し上げます。本研究の一部は、宇都宮市大谷特性活用補助金の助成を受けたものです。
[引用文献] 帝国ホテル 編(1990)『帝国ホテル百年史:1890-1990』185-187. / 大蔵省臨時議院建築局 編(1922)『本邦産建築石材』107-114. / Raymond, Antonin. (1973) Antonin Raymond: An Autobiography. 67-68. / Wright, Frank Lloyd. (1932) An Autobiography. 240.
[調査方法] ホテル山の現状、その原石材と旧石材(安野家石蔵の建物構成材)、博物館 明治村 帝国ホテル玄関(ライト館の部分移築)、自由学園明日館(中央棟・東西教室棟。ライト+遠藤新:竣工1921・22・25年)、同・講堂(遠藤:竣工1927年)、同・敷地内敷石(昭和戦後に施設整備)、ヨドコウ迎賓館(山邑家住宅。ライト+遠藤・南信:竣工1924年)の旧石材を調査した。また、ホテル山の最後の石工棟梁・三條久氏(1937年生まれ)に取材を行った。ホテル山はライト館の竣工まで帝国ホテル傘下の東谷石材商店、1943/44年頃まで安野石材店、1988/89年頃まで安野石材店と屏風岩石材部、平成時代まで三條氏と屏風岩が採掘に携わる。三條氏は20歳から安野石材店で働き、番頭として同店から採掘場と屋号を受け継いだ。
[試料の製作、観察と分析] ホテル山で採取した原石材と旧石材、博物館 明治村、自由学園明日館、ヨドコウ迎賓館の旧石材を用い、100×100×50/25mmの石材サンプル12点と、岩石薄片(乾式研磨法)を多数製作し、肉眼、実体・偏光顕微鏡で石材組織の観察と鉱物組成分析を行った。三條氏には歴史的建造物の石材サンプルを呈示し、その特徴について意見を伺う。大学研究室では石材サンプルのミソと色合いに注目し、感性評価実験を進めている。
[調査結果と今後の課題] 三條氏への取材を通じてホテル山の歩みと、石工棟梁から見た当地産の石材の特徴が確認でき、石材サンプル、岩石薄片の組織観察と鉱物組成からは、地質学的観点から原石材、旧石材の岩石学的・視覚的な性質に迫る契機となった。大谷地区で現在採掘され、流通しているものと比較するならば、ホテル山の石材は全般的にミソが少なく、その周囲が硬い上質な白目の大谷石であること、ゆえに旧石材の表面が年月と風雨に晒され劣化していても、その内部は未だに新鮮なことなどが分かった。だが同じホテル山であっても原石材の採取地点、採掘年代により、含まれるミソや岩片が異なること、歴史的建造物の構成材も違いが認められることや、当地と周囲の地形、大谷層における岩相層準など、解明すべき事柄は多い。今後はこうした観点から調査・研究を継続し、実証的な報告を目指したい。
[謝辞] 三条久氏ご夫妻には調査に際してのご高配、博物館 明治村、自由学園明日館、芦屋市教育委員会には旧石材のご提供、大谷石産業にはサンプル製作、芙蓉地質には薄片製作でご協力をいただきました。皆様に御礼を申し上げます。本研究の一部は、宇都宮市大谷特性活用補助金の助成を受けたものです。
[引用文献] 帝国ホテル 編(1990)『帝国ホテル百年史:1890-1990』185-187. / 大蔵省臨時議院建築局 編(1922)『本邦産建築石材』107-114. / Raymond, Antonin. (1973) Antonin Raymond: An Autobiography. 67-68. / Wright, Frank Lloyd. (1932) An Autobiography. 240.
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