講演情報

[T3-O-12]但馬国城崎温泉産「コハメシイシ」の文化地質学

*川村 教一1 (1. 兵庫県立大学大学院地域資源マネジメント研究科)
PDFダウンロードPDFダウンロード

キーワード:

兵庫県、豊岡市、流紋岩、木内石亭、江戸時代

「飯石(あるいはコハメシイシ)」とは,一般に米粒大の水晶の集合体のことである(加藤,2014).江戸時代の奇石収集家である木内重暁(石亭)著『雲根志後編巻の一』(1779年序)などには,城崎温泉産の「飯石(はんせき)」,俗名「コハメシイシ」として紹介されているが,現在では地元で知っている人は見当たらない(川村,2024).
 18世紀の城崎温泉は,旅行案内や温泉の効能が喧伝(例えば香川,1738)されるなどして,畿内で一二を争う有名な湯治場であった.このころ,木内石亭のほか,木村蒹葭堂や服部未石亭といった収集家も城崎温泉産のコハメシイシをコレクションに持っていた(益富,1982;横山・服部,2020).彼らの没後,19世紀では,京都で約50年間にわたり開催された山本読書室主催の物産会目録(山本読書室[編]「読書室物産会目録」)を検索すると,コハメシイシ(強飯石)は11回出品されていた.主な出品者は本草家でもあった医家たちである.
 コハメシイシの大きさは,『雲根志後編』(木内,1779)には握りこぶし大もしくは桃・栗の実くらいの大きさと書かれている.しかし,演者が産地付近で調査したところ,鮮新世の流紋岩の風化砕屑物中には長径数十cmの石英脈の塊もみられることから,江戸時代の収集家は,比較的小さな球顆のみ入手したことになる.大きさによる収集品選別の過程は不明であるが,以下のことが推論できる.
1.城崎の人々が,握りこぶし大程度の球顆をおにぎりに見立てて,コハメシイシと呼んでいた.
2.木内石亭に届けられた標本が輸送しやすい小型のものであったので,それに従って木内が記載した.
 以上のことから,兵庫県豊岡市北部に分布する,鮮新世流紋岩中の風化砕屑物中に残留している石英脈や球顆のうち,比較的小さなものが「飯石」あるいは「コハメシイシ」であるとわかった.これが畿内でも有名な温泉街近隣に産したため,18~19世紀の京都や近江の奇石収集家の知るところとなり,また彼らが容易に入手できて珍重したと考えられる.

【文献】
香川修徳(1738)一本堂薬選 続編.文泉堂,平安(京都) ,119丁.
加藤碩一(2014)石の俗称辞典第2版.愛智出版,東京,408ページ.
川村教一(2024)古文書からひも解く地域の地質資源:山陰海岸ジオパークの例から.日本地球惑星科学連合2024年大会,MIS08-P02.
木内重暁(1779)雲根志後編一の巻.須原屋茂兵衛ほか,大坂,37丁.
益富寿之助(1982)蒹葭堂奇石コレクション(京大号)について.大阪市立自然史博物館収蔵資料目録第14集,1-18.
山本読書室[編](1808-1867)読書室物産会目録 自第一号至第五十号(一括).京都府立京都学・歴彩館山本読書室資料,目録番号2363.
横山卓雄・服部泰三[編](2020)服部未石亭の鉱物・化石・岩石コレクション: 江戸時代近江石部の弄石家.益富地学会館,京都,77ページ.

コメント

コメントの閲覧・投稿にはログインが必要です。ログイン