講演情報
[G8-O-1]日本で最初の女性理学博士保井コノとマリー・ストープスの来日
*矢島 道子1 (1. 東京都立大学)
キーワード:
保井コノ、マリー・ストープス、鉱化植物化石
保井コノ(1880-1971)は鉱化化石の研究により、1927年、日本で初めて理学博士号を取得した。どうやって、学位取得が可能になったのだろうか。 保井は香川県師範学校を経て女子高等師範学校を卒業し、3年間教師を勤めた後、1905年生物学をさらに修めるために女子高等師範学校の専門課程に進む。1905年に鯉のウィーバー器官についての論文を書いた後、植物学研究に変更し、1907年に、女子高等師範学校研究科修了し、同校助教授 となっていた。学位をという声もささやかれていた可能性は高い。1907年に来日したイギリスの古植物学者マリー・ストープス(1880-1958)の影響が多大にある。 当時は、外国で学位取得が主であり、日本での学位取得は外国への留学が前提となっていた。保井はさらなる研究をということで、留学を試みる。1913年に文部省外国留学生としてドイツおよびアメリカに在外研究の許可を得、1914年にカナダとアメリカに留学し、1915年、ハーバード大学のジェフェリー教授(Charles Jeffery, 1866-1952)から鉱化化石の研究を勧められ、1916年、6月帰国、東京帝国大学,藤井健次郎教授のもとで石炭の研究を開始し、1927年、学位論文 [日本産の亜炭,褐炭,瀝青炭の構造について]を東京大学に提出した。指導教官は、マリー・ストープス(Marie C. Stopes、1880 - 1958)の共同研究者であり、婚約者であった藤井健次郎(1866-1952)であった。保井は日本全国の炭坑内で柱状図を作成し、化石標本を採集し、薄片を制作・観察し、論文(Yasui, 1928)を書き、1927年学位を取得した。 マリー・ストープスは1907年来日し、北海道などの炭鉱中の鉱化植物化石を調査、採集、研究して、1908年離日し、1910年藤井との共著論文(Stopes and Fujii, 1911)を発表した。これは、日本の科学者社会にとって衝撃的なことであった。女性、理学博士、地球科学者、炭鉱坑内を含むフィールド調査、すべて初めてのことであった。日本での出来事はストープス著『日本日記』に詳細に書かれているが、そこにでてくる仮名の人物群は松原徳弘によって、調査されている。ストープスは桜井錠二から能の手ほどきを受け、帰国後『日本の古典劇・能』を1912年にロンドンで出版した。保井はストープスに会ったことがあり、礼状を書いている。 ReferencesMarie C. Stopes and Kenjiro Fujii, “Studies on the structure and affinities of Cretaceous plants,” Philosophical Transaction of the Royal Society of London, Series B, 201 (1910), p. 1-90.Yasui K. (1928) Studies on the structure of lignite, brown coal, and bituminous coal in Japan. Jour. Faculty of Science, 1mperial University of Tokyo, Sect.1II, Botany 1 Part 4: 381-468
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