講演情報
[G6-O-8]秋田市市街地の微地形と2023年7月水害
*藤本 幸雄1 (1. 秋田地学教育学会)
キーワード:
沖積面、微地形、集水・流水地形、秋田藩
2023年7月14~16日の梅雨末期集中豪雨で秋田市仁別では72時間降雨量が431mmと観測記録最大値を越え、15日17時30分には旭川治水ダムが初めて緊急放流を行った。一方市街地南部を流れる太平川が氾濫、内水面氾濫も生じて秋田市では全壊11、半壊2431、一部破損11、床上浸水599、床下浸水2431棟の被害を生じた。この水害については当初から内水面氾濫が度々報道されたが、演者は15日夕方に自宅(広面字鍋沼)前の市道を南(太平川方向)に向かって流れる濁水を見て、微地形を検討する必要性を感じた。その後別記のような方法で調べ、集水・流水地形を把握することができた(藤本,2023).今回は範囲を広げて調査・検討した結果を加えて報告する。方法:1/2500国土基本図(秋田市役所)に記入されている沖積地盤地域の地点高度を国土地理院の1/25000地形図の拡大図(200%;1/12500図)に転記し、0.5mごとの等高線を引いた。この地形図を1/25000地形図に縮小し、先行研究の地形分類図、微地形分布図、2023年7月水害の冠水範囲、大正元年測量の1/25000地形図、明治元年の久保田城絵図等と比較して集水・流水地形とその成因を考察した。結果:日本海中部地震災害(1983年)秋田大学地質調査班(1986)(以下秋田大地質調査班)は、能代市~秋田市の秋田臨海平野について地形分類を行い、多数の試錐柱状図を活用して後期更新世以降の平野形成史を詳細に論述した。その中で秋田市の沖積平野について、A-Ⅰ(7.5~9m)、A-Ⅱa(5.5~7m)、A-Ⅱb(3.5~4.5m)、A-Ⅲ(3m以下)の地形面に区分し、A-Ⅰ面は約6000年前の縄文海進最高海面期に、A-Ⅱaは縄文時代中期海退後の小海進、A-Ⅱbは800~1700年の平安海進、A-Ⅲは各河川が現在の流路をとるに至った後の形成としている。また、A-Ⅰ、A-Ⅱa、A-Ⅱb面上にはポイントバー、自然堤防などの微地形が残ることを述べた。今回の検討結果:①A-Ⅰ面、A-Ⅱa面上の微高地は旭川、大平川の自然堤防であり、特にA-Ⅱa面の大平川右岸の微高地は市街地南部の集水・流水地形を形成する。②旭川は後期更新世末まで千秋公園の東を南流し、手形山や千秋公園に河成段丘を形成した。 旭川・太平川を合わせる雄物川は最終氷期最寒冷期には高清水の東側を-60~-70mの谷地形を刻んで北流し、秋田市北部で日本海に向かって流れていた(秋田大地質調査班、1986)。その後、縄文海進で谷地形が沖積層により埋積されてA-Ⅰ面が形成された後、縄文中期の小海退で旭川は西に流路を移し(争奪)、秋田市北部の隆起帯の影響を受けてA-Ⅱb面形成期には千秋公園の西を蛇行南流していた。この過程で市街地東部にはA-Ⅱa面になる広い沼沢地・湿地帯が出現し、南西へ流下する水域も形成された。これらが今回の水害における大規模な集水・流水微地形に対応する。③旭川右岸の微高地は自然堤防に加えて1600年代初期の秋田藩による旭川改修による改変を受けた。④秋田市北部の新城川は南西に、その北の馬踏川は北西に流路が偏っており、両者の間は黒川油田の背斜部に相当する(藤岡ほか、1982)。新城川は著しく蛇行して中~下流部において鮮新世―更新世の緩く固結した笹岡層の砂岩層分布域を流下する。同様に太平川も中流部で笹岡層の分布域を流下する。両河川とも河床は砂の堆積が進んでいた。水害を受けて県は太平川の河床掘削整備に乗り出している。文献:藤岡一男ほか(1977):地域地質研究報告,75p.地質調査所.藤本幸雄(2023):秋田地学教育学会講演要旨.日本海中部地震災害(1983年)秋田大学地質調査班(1986):地質学論集第27号、213-235.Key Words:沖積面,微地形,集水・流水地形,秋田藩
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