講演情報
[T15-O-20]大阪平野中央部,天満砂州および難波浜堤平野の礫種組成とその供給源
*中条 武司1、趙 哲済2、別所 孝範1、佐藤 隆春1、川端 清司1、小倉 徹也3、藤薮 勝則4、菊井 佳弥5、藤原 啓史2、飯田 真理子2、谷 亜佑美2、小田木 富慈美2 (1. 大阪市立自然史博物館、2. 大阪市文化財協会、3. 大阪市教育委員会、4. 和歌山市文化スポーツ振興財団埋蔵文化財センター、5. 奈良市教育委員会)
キーワード:
礫種組成、大阪平野、完新世
大阪平野中央部を南北に走る上町台地の北側に延びる天満砂州や西側に広がる難波浜堤平野(難波砂州)は,縄文時代以降の最高海面期及びその後の海面安定期に形成されたと考えられている(増田,2019).現在の大阪湾に流れ込む河川流量から考えると,大阪平野への堆積物供給の多くは淀川や大和川からが想定されるが,最高海面期の大阪平野は上町台地の西側には河内湾が存在し,これらの河川からの堆積物の多くは河内湾で堆積したと考えられる.また,天満砂州や難波浜堤平野は粗粒な砂礫質の堆積物からなり(梶山・市原,1972;1986;増田,2019など),これらの粗粒堆積物の供給源については十分な知見が得られていない.そこで本研究では,天満砂州および難波浜堤平野に位置している遺跡から得られた礫種組成を検討し,その供給源や堆積物供給に寄与した堆積作用について考察を行った.
礫種の検討を行ったのは,天満砂州および難波浜堤平野に位置する縄文時代〜弥生時代の4遺跡8地点(同心町遺跡3地点,野崎町所在遺跡3地点,安曇寺跡推定地1地点,大坂城下町跡1地点)で,人為の影響を受けていない地層から礫の採取を行った.また比較資料として,上町台地上の更新統の段丘堆積物2地点(山之内遺跡・低位段丘層,四天王寺旧境内遺跡・中位段丘層)においても礫種の検討を行った.各地点で礫径の大きい方から最低100個以上を採取し,礫径・円磨度の計測および礫種の同定を行った.礫種の同定は肉眼および実体顕微鏡による観察を基本とし,一部の礫については薄片を作成して同定を行った.
各遺跡の礫の検討の結果,すべての遺跡で花崗岩類,砕屑岩類(礫岩・砂岩・泥岩),チャート,流紋岩類(凝灰岩,流紋岩溶岩)の4区分で,礫種組成の90%以上を占めることが明らかとなった(趙ほか,2024).また,完新統と更新統の違いについては,その割合がやや異なるものの,礫種構成としては変わらないものとなった.このうち,砕屑岩類は礫岩や中〜粗粒砂岩がそのほとんどを占め,大阪南部に分布する白亜系和泉層群起源であることが推定される.一方で,北摂山地を構成する付加体起源の緻密な泥岩・砂岩は比較的少ない結果となった.また,割合としては1〜3%であるが,変形岩であるマイロナイトが5地点から見いだされた.さらに,大阪東部〜南部に分布するサヌキトイドが1地点で確認された.
これらの礫種のうち,花崗岩類,流紋岩類,チャートは大阪周辺域の主要な河川からは見いだされるため(川端・中条,2015),その供給源の推定には適さない.一方で,和泉層群起源と考えられる砕屑岩は,現在の河川礫では大阪南部から流入する河川からのみに見いだされる(川端・中条,2015).また,大阪周辺ではマイロナイトなどの変形岩は,大阪府南部の和泉山脈北縁部にのみ分布する(高木ほか,1988).また,サヌキトイドは大阪南部にも産出が知られている(市原ほか,1986).以上のことから,天満砂州および難波浜堤平野を構成する粗粒堆積物は,鮮新―更新統(大阪層群)や段丘堆積物からの再堆積を含むとしても,北摂地域からよりも大阪南部から供給されたものが多かったことが考えられる.これらの結果は,大阪平野形成における粗粒堆積物の供給経路や周辺水系の寄与についての知見を与えるものであろう.
文献
趙 哲済ほか,2024,大阪市域の低地と台地の礫組成.大阪市文化財協会研究紀要,(25),1-32.
市原 実ほか,1986,岸和田地域の地質,地域地質研究報告(5万分の1地質図幅),地質調査所,148pp.
梶山彦太郎・市原 実,1972,大阪平野の発達史−14C 年代データから−.地質学論集,7,101-112.
梶山彦太郎・市原 実,1986,大阪平野のおいたち.138pp.,青木書店.
川端清司・中条武司,2015,ミニガイドNo. 27 大阪の川原の石ころ.大阪市立自然史博物館,36pp.
増田富士雄編著,2019,ダイナミック地層学―大阪平野・神戸六甲山麓・京都盆地の沖積層の解析―. 219pp.,近未来社.
高木秀雄ほか,1988,領家帯内部剪断帯における石英の変形―大阪府岸和田地域の例―.地質学雑誌,94,869-886.
礫種の検討を行ったのは,天満砂州および難波浜堤平野に位置する縄文時代〜弥生時代の4遺跡8地点(同心町遺跡3地点,野崎町所在遺跡3地点,安曇寺跡推定地1地点,大坂城下町跡1地点)で,人為の影響を受けていない地層から礫の採取を行った.また比較資料として,上町台地上の更新統の段丘堆積物2地点(山之内遺跡・低位段丘層,四天王寺旧境内遺跡・中位段丘層)においても礫種の検討を行った.各地点で礫径の大きい方から最低100個以上を採取し,礫径・円磨度の計測および礫種の同定を行った.礫種の同定は肉眼および実体顕微鏡による観察を基本とし,一部の礫については薄片を作成して同定を行った.
各遺跡の礫の検討の結果,すべての遺跡で花崗岩類,砕屑岩類(礫岩・砂岩・泥岩),チャート,流紋岩類(凝灰岩,流紋岩溶岩)の4区分で,礫種組成の90%以上を占めることが明らかとなった(趙ほか,2024).また,完新統と更新統の違いについては,その割合がやや異なるものの,礫種構成としては変わらないものとなった.このうち,砕屑岩類は礫岩や中〜粗粒砂岩がそのほとんどを占め,大阪南部に分布する白亜系和泉層群起源であることが推定される.一方で,北摂山地を構成する付加体起源の緻密な泥岩・砂岩は比較的少ない結果となった.また,割合としては1〜3%であるが,変形岩であるマイロナイトが5地点から見いだされた.さらに,大阪東部〜南部に分布するサヌキトイドが1地点で確認された.
これらの礫種のうち,花崗岩類,流紋岩類,チャートは大阪周辺域の主要な河川からは見いだされるため(川端・中条,2015),その供給源の推定には適さない.一方で,和泉層群起源と考えられる砕屑岩は,現在の河川礫では大阪南部から流入する河川からのみに見いだされる(川端・中条,2015).また,大阪周辺ではマイロナイトなどの変形岩は,大阪府南部の和泉山脈北縁部にのみ分布する(高木ほか,1988).また,サヌキトイドは大阪南部にも産出が知られている(市原ほか,1986).以上のことから,天満砂州および難波浜堤平野を構成する粗粒堆積物は,鮮新―更新統(大阪層群)や段丘堆積物からの再堆積を含むとしても,北摂地域からよりも大阪南部から供給されたものが多かったことが考えられる.これらの結果は,大阪平野形成における粗粒堆積物の供給経路や周辺水系の寄与についての知見を与えるものであろう.
文献
趙 哲済ほか,2024,大阪市域の低地と台地の礫組成.大阪市文化財協会研究紀要,(25),1-32.
市原 実ほか,1986,岸和田地域の地質,地域地質研究報告(5万分の1地質図幅),地質調査所,148pp.
梶山彦太郎・市原 実,1972,大阪平野の発達史−14C 年代データから−.地質学論集,7,101-112.
梶山彦太郎・市原 実,1986,大阪平野のおいたち.138pp.,青木書店.
川端清司・中条武司,2015,ミニガイドNo. 27 大阪の川原の石ころ.大阪市立自然史博物館,36pp.
増田富士雄編著,2019,ダイナミック地層学―大阪平野・神戸六甲山麓・京都盆地の沖積層の解析―. 219pp.,近未来社.
高木秀雄ほか,1988,領家帯内部剪断帯における石英の変形―大阪府岸和田地域の例―.地質学雑誌,94,869-886.
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