講演情報
[T4-O-2]文化サイト番場浦海岸採石場跡と大正関東地震による海岸隆起との関係
*笠間 友博1,2 (1. 箱根ジオパーク推進協議会 事務局、2. 神奈川大学)
キーワード:
採石場跡、大正関東地震、真鶴町、ヤッコカンザシ、陸軍丁場、江戸城丁場
地震による海岸隆起は、波食台の隆起で確認される事があるが、本報告は海岸の採石場跡が波食台のように隆起を示す可能性について述べる。1923年大正関東地震では、神奈川県の大磯や三浦半島の海岸が大きく隆起したが、真鶴半島先端の三ツ石でも2mを越える隆起があった(陸地測量部,1930; 神奈川県水産試験場,1924)。真鶴半島は箱根火山真鶴溶岩グループよりなる(長井・高橋, 2008)が、三ツ石や近くの番場浦海岸の岩礁には、この地震で隆起した穿孔貝の穿孔痕が存在する(増田・松島,1969)。千代田・伊藤(2013)は詳細な調査を行い岩相との関係を述べ、緻密な部分には見られないとしている。上記海岸には、赤色酸化された部分があるので、厚い安山岩溶岩上部の多孔質部分と推定され、穿孔可能な軟らかさがあると考えられる。ところで、堀(2024)によると、石材採取方法は歴史的、世界的にクサビ法と溝法の2つのみであるという。箱根の火山岩は圧倒的にクサビ法が多いが、番場浦海岸には珍しい溝法の採石場跡がある(文化サイトに指定)。安山岩にツルハシで掘れる軟らかさがあった事を示しており、穿孔痕の存在と調和的である。著者が注目するのは、この溝法採石場跡の基底面高度である。標高約2mで、周辺の穿孔貝の穿孔痕の高さとほぼ一致し、現海水面より明らかに高い。さらに採石跡の基底部付近(穿孔痕とほぼ同じ標高)には、ヤッコカンザシやカキの殻が付着している。真鶴周辺は、幕府・政府による大規模採石が2回行われている。1回目は江戸城築城期(1606~1636年:真鶴町,1995)で、2回目は幕末の砲台建設期から明治の陸軍丁場期(1888頃~1913年:丹治,2016)である。波食台とは異なり、海水面に対してどこまで採石するか不明な点に、本議論の不確定さが残るが、ヤッコカンザシが基底部付近にあり(採石終了後、大正関東地震前に付着と考えられる)、文献上も石に付着した海藻を肥料として使用する申請書が存在する(陸軍丁場:丹治,2016)事から、慣例的に干潮時の海水面付近まで採石が行われていたと推定される。なお、陸軍丁場期以降も採石は継続されているが、現在は全て終了している。採石場跡基底面の標高に着目し議論を進めると、満潮で水没するもの(標高約0~-1m)と水没しないもの(標高約2m)があり、採石の終了時期が、大正関東地震の前か後かを示す可能性が高い。さらにヤッコカンザシの面から約1m上位(標高約3m)に、風化が進んだ古い採石跡の基底面があるように見える。江戸城築城期とすれば、1703年元禄関東地震等による隆起を示唆する。真鶴の石材に関して江戸時代以降の取引記録は存在するが、具体的な採掘場所の記録は殆どなく、場所の特定には困難が伴う。陸軍丁場でも状況は同じである。本報告の番場浦海岸の採石場跡も、採掘時期に関する記録は未発見である。ところで、陸軍丁場の時代に建設された横須賀市の千代ヶ崎砲台(1895年完成)には、真鶴の石材業、土屋大次郎による砲台礎石納入記録がある(丹治,2016)が、採掘場所の記載はない。国史跡であるため、外観からの推定になるが、注目されるのが階段の石材である(砲台礎石ではないが)。ツルハシの跡があり、溝法で採掘された可能性が高く、2種類ある階段石材の高さ(メートル法で約25cmと約19cm)と番場浦海岸の2種類の採石ピッチは一致する。階段には溝法で採石できるような多孔質でざらざらした石材の方が向いている。このような岩相の岩石がまとまって産するのは、陸軍丁場に指定された早川~川奈の海岸では真鶴のみであることから、ヤッコカンザシ等が付着する採石面は陸軍丁場時代のものと考えられる。
文献
千代田厚史・伊藤泰弘, 2013.神奈川県真鶴半島周辺に見られる岩石穿孔性二枚貝類について.日本古生物学会162回停会予稿集.
堀 賀貴, 2024. ヘレニズム期~ローマ期の採石技術の変遷. 文化遺産世界レポート, webページ, https://www.isan-no-sekai.jp/report/8229
神奈川県水産試験場, 1924.神奈川県水産震災調査報告.
真鶴町, 1995.真鶴町史通史編.
増田孝一郎・松島義彰, 1969.神奈川県真鶴岬産の火山岩に穿孔する二枚貝について.貝雑, 28:101-108.
陸地測量部, 1930.大正十二年関東震災垂直変動要図.
長井雅史・高橋正樹, 2008. 箱根火山の地質と形成史. 神奈川県立博物館調査研究報告(自然科学), (13): 25-42.
丹治雄一, 2016.明治期の箱根火山周辺安山岩の石材利用と土屋大次郎の事業活動.神奈川県立博物館研究報告(人文科学),43:15-30.
文献
千代田厚史・伊藤泰弘, 2013.神奈川県真鶴半島周辺に見られる岩石穿孔性二枚貝類について.日本古生物学会162回停会予稿集.
堀 賀貴, 2024. ヘレニズム期~ローマ期の採石技術の変遷. 文化遺産世界レポート, webページ, https://www.isan-no-sekai.jp/report/8229
神奈川県水産試験場, 1924.神奈川県水産震災調査報告.
真鶴町, 1995.真鶴町史通史編.
増田孝一郎・松島義彰, 1969.神奈川県真鶴岬産の火山岩に穿孔する二枚貝について.貝雑, 28:101-108.
陸地測量部, 1930.大正十二年関東震災垂直変動要図.
長井雅史・高橋正樹, 2008. 箱根火山の地質と形成史. 神奈川県立博物館調査研究報告(自然科学), (13): 25-42.
丹治雄一, 2016.明治期の箱根火山周辺安山岩の石材利用と土屋大次郎の事業活動.神奈川県立博物館研究報告(人文科学),43:15-30.
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