講演情報
[T3-P-2]いわゆる“さざれ石”と“たもと石”の文化地質学
*先山 徹1 (1. NPO法人地球年代学ネットワーク 地球史研究所)
キーワード:
石灰質角礫岩、さざれ石、文化地質学、たもと石、民俗学
「君が代」の歌詞にある「さざれ石のいわおとなりて」という文言の解釈には,大きく見て小石が集合して礫岩となったとするもの(“さざれ石”タイプ)と,小石が年月とともに大きくなったとするもの(“たもと石”タイプ)がある.この発表では,“さざれ石”と呼ばれる岩石の扱いがどのように変化してきたかを述べ,“たもと石”との比較を行い,それらの文化地質学的意味を考察する.
1.石灰質角礫岩“さざれ石”の登場
各地の比較的大きな神社へ行くと,“さざれ石”と称する岩石が奉納されていることがある.それらを現地で確認したほか,神社の公式ウェブサイトなどで紹介された岩石の写真や看板の文章から,その由来等を確認した.“さざれ石”とされているものの多くは岐阜県揖斐川町で産した石灰質角礫岩である.これはジュラ紀付加体に伴う石灰岩からなる伊吹山東麓に分布する崖錐堆積物で,石灰岩礫が石灰質な溶液によって固結したものである.ここには地域の伝承があり,揖斐川町春日に住む木地師がこの岩石を見つけ,詠ったのが君が代のもとになったとされている(春日振興事務所・日本さざれ石の会事務局によるパンフレット).そしてこの伝承をもとに,1962年以降全国各地の神社などに“さざれ石”として寄贈されたことによって,この岩石が全国に知られるようになった.ただしこの伝承については異論もあり(鈴木,2003;鴨井,2024),不明な点が多い.
2.“さざれ石”の変遷
各地の“さざれ石”の岩石と寄贈年月を見ると,当初は揖斐川町産の石灰質角礫岩のみであったものが,2002年以降他地域の異なる岩石が加わり,現在では筆者が確認した96例のうち,32例が石灰質角礫岩以外の岩石となっている.次に設置されている看板の説明文を見ると,当初の物には必ず岩石の成り立ちが書かれているが,1980年代以降になると説明のないものが増え,2006年以降には明らかに誤った文章が見られる.確認された誤りは18例にのぼり,特に多いのは明らかに石灰岩質ではない他地域の礫岩に対して,揖斐川町産石灰質角礫岩での説明をそのまま当てはめているものであった.一方,「国民の団結を願って詠まれた」など,伝承には無かった作者の意図が書かれたもの(17例)や,霊力や御利益があるとしたもの(11例)が設置年に応じて増加する傾向がある(図1).伝承から出発した提唱者の意図が年代を追って変化しているように見える.
3.“たもと石”
日本三古泉にもあげられている兵庫県神戸市の有馬温泉に“たもと石”と名付けられた巨岩がある.この巨岩はかつての土石流で運ばれてきた岩石の一つであると考えられるが,そこには湯泉神社の女神に向かって矢を射ようとした城主に対して,女神が着物の袂からとりだして投げた小石が時とともに大きくなったという伝説が残されている.このように時とともに大きくなる石の伝説は袂石や礫石など様々な名前で呼ばれ,全国各地に存在する.柳田(1977)は各地の袂石に触れ,多くの人が石は成長するものだと思っていたことを述べ、その例として「さざれ石が巌となる」ことをあげている.
4.結論
いわゆる“さざれ石”を礫岩として見ることは,地球科学的に見て可能かもしれない.しかしその元となるのはあくまでも伝承である.また当時の人たちが礫岩をどう捉えていたかについての検証はない.このような伝承を事実として捉え,礫岩の形成という現在の知識をそのまま当てはめたことが,後の誤りにつながっているように見える.一方岩石が大きくなるという現象は,科学的にはあり得ないことである.しかし土石流などである日突然目の前に現れた巨岩の存在は,“たもと石”のような小石がいつの間にか大きくなる伝承を生み出した可能性がある。科学的にあり得ないものをあり得ないとした上で、その背景として客観的に組み立てられた民俗学的あるいは地質学的解釈には説得力がある.
文献
鴨井幸彦(2024)「君が代」の一節「さざれ石の 巌となりて」の地質学的解釈について,地学教育と化学運動,90,71-74.
春日振興事務所・日本さざれ石の会事務局:chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.town.ibigawa.lg.jp/kankoujyouhou/cmsfiles/contents/0000006/6085/Sazareishi.pdf(2024年6月閲覧).
鈴木博之(2003)「さざれ石」の由来と地質学的考察.地球科学,57,243-252.
柳田国男(1977)日本の伝説.新潮文庫,185p.
1.石灰質角礫岩“さざれ石”の登場
各地の比較的大きな神社へ行くと,“さざれ石”と称する岩石が奉納されていることがある.それらを現地で確認したほか,神社の公式ウェブサイトなどで紹介された岩石の写真や看板の文章から,その由来等を確認した.“さざれ石”とされているものの多くは岐阜県揖斐川町で産した石灰質角礫岩である.これはジュラ紀付加体に伴う石灰岩からなる伊吹山東麓に分布する崖錐堆積物で,石灰岩礫が石灰質な溶液によって固結したものである.ここには地域の伝承があり,揖斐川町春日に住む木地師がこの岩石を見つけ,詠ったのが君が代のもとになったとされている(春日振興事務所・日本さざれ石の会事務局によるパンフレット).そしてこの伝承をもとに,1962年以降全国各地の神社などに“さざれ石”として寄贈されたことによって,この岩石が全国に知られるようになった.ただしこの伝承については異論もあり(鈴木,2003;鴨井,2024),不明な点が多い.
2.“さざれ石”の変遷
各地の“さざれ石”の岩石と寄贈年月を見ると,当初は揖斐川町産の石灰質角礫岩のみであったものが,2002年以降他地域の異なる岩石が加わり,現在では筆者が確認した96例のうち,32例が石灰質角礫岩以外の岩石となっている.次に設置されている看板の説明文を見ると,当初の物には必ず岩石の成り立ちが書かれているが,1980年代以降になると説明のないものが増え,2006年以降には明らかに誤った文章が見られる.確認された誤りは18例にのぼり,特に多いのは明らかに石灰岩質ではない他地域の礫岩に対して,揖斐川町産石灰質角礫岩での説明をそのまま当てはめているものであった.一方,「国民の団結を願って詠まれた」など,伝承には無かった作者の意図が書かれたもの(17例)や,霊力や御利益があるとしたもの(11例)が設置年に応じて増加する傾向がある(図1).伝承から出発した提唱者の意図が年代を追って変化しているように見える.
3.“たもと石”
日本三古泉にもあげられている兵庫県神戸市の有馬温泉に“たもと石”と名付けられた巨岩がある.この巨岩はかつての土石流で運ばれてきた岩石の一つであると考えられるが,そこには湯泉神社の女神に向かって矢を射ようとした城主に対して,女神が着物の袂からとりだして投げた小石が時とともに大きくなったという伝説が残されている.このように時とともに大きくなる石の伝説は袂石や礫石など様々な名前で呼ばれ,全国各地に存在する.柳田(1977)は各地の袂石に触れ,多くの人が石は成長するものだと思っていたことを述べ、その例として「さざれ石が巌となる」ことをあげている.
4.結論
いわゆる“さざれ石”を礫岩として見ることは,地球科学的に見て可能かもしれない.しかしその元となるのはあくまでも伝承である.また当時の人たちが礫岩をどう捉えていたかについての検証はない.このような伝承を事実として捉え,礫岩の形成という現在の知識をそのまま当てはめたことが,後の誤りにつながっているように見える.一方岩石が大きくなるという現象は,科学的にはあり得ないことである.しかし土石流などである日突然目の前に現れた巨岩の存在は,“たもと石”のような小石がいつの間にか大きくなる伝承を生み出した可能性がある。科学的にあり得ないものをあり得ないとした上で、その背景として客観的に組み立てられた民俗学的あるいは地質学的解釈には説得力がある.
文献
鴨井幸彦(2024)「君が代」の一節「さざれ石の 巌となりて」の地質学的解釈について,地学教育と化学運動,90,71-74.
春日振興事務所・日本さざれ石の会事務局:chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.town.ibigawa.lg.jp/kankoujyouhou/cmsfiles/contents/0000006/6085/Sazareishi.pdf(2024年6月閲覧).
鈴木博之(2003)「さざれ石」の由来と地質学的考察.地球科学,57,243-252.
柳田国男(1977)日本の伝説.新潮文庫,185p.
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