講演情報
[T7-O-5]四国西部中央構造線近傍に分布する上部白亜系和泉層群南部相:そのテクトニクスにおける意味
*竹下 徹1、窪田 安打2 (1. パシフィックコンサルタンツ(株)、2. 応用地質株式会社)
キーワード:
上部白亜系和泉層群、和泉層群南部相、狭義の中央構造線、重信川断層、削剥レベル
主として四国から紀伊半島の中央構造線に沿って帯状に分布する上部白亜系和泉層群は、後期白亜紀に領家変成岩類および花崗岩類(領家帯)中に誕生した古期中央構造線の左横ずれ断層運動に伴って形成されたプルアパート堆積盆に堆積したと考えられている(例えば、Miyata, 1990)。一方、和泉層群は三波川変成岩と狭義の中央構造線(以下、単に中央構造線)で接している。また、四国東部では和泉層群の構造は東西方向の軸を持つ一大向斜構造で特徴付けられるが、その北翼は不整合を含めて完全に保存されているのに対し、南翼は向斜軸から少し離れた地点で中央構造線に截たれ、三波川変成岩と接する。今日、和泉層群と三波川変成岩を接触させた中央構造線は、北落ちの大規模正断層活動(市之川フェーズ)によって暁新世(約59 Ma)に形成されたことが判明している(Kubota and Takeshita, 2008; Kubota et al., 2020)。
ところで、上述の通り四国東部では和泉層群の南半分が大部分失われているのに対し、四国西部では狭義の中央構造線の北側にもともと和泉層群の南部相であったと推測される部分がタービダイト砂岩泥岩互層中に挟まれる。南部相は竹下・海作(1991)によって発見され、和泉層群の主部を構成するタービダイト砂岩泥岩互層とは異なる、沿岸から浅海成相と考えられる礫岩、アルコース質砂岩、有機物を多く含む泥岩より構成され、北翼で不整合の直上に分布する和泉層群北縁相に類似する。四国西部以外に、南部相は淡路島の南西端(橋爪ほか, 1993)や紀伊半島の西部(米谷・前島, 2013)に小規模に分布する。一つの重要な事実は、四国西部の和泉層群は続成作用によって形成された沸石の分帯により北部(曹長石帯)と南部(方沸石帯)に区分され、もともと北部は南部に対して相対的に約1-2 km深い所で埋没続成作用を受け、東西方向の北上がりの重信川断層で接したと推定されていることである(西村ほか, 1980; 西村, 1984)。
西村(1984)は、重信川断層は幅広い破砕帯(最大幅500 m)を持ち、断層を境にして北部と南部の構造は連続しないとした。竹下(1993)は、重信川断層のすぐ北側に発達する小褶曲、および北部と南部の構造不連続をより詳しく記載したほか、南部に発達する北フェルゲンツの特異な褶曲を報告した。さらに、南部相が重信川断層の南側にのみ分布することも考慮し、重信川断層の北側を和泉北帯、南側を和泉南帯と命名した。また、Kubota and Takeshita (2008)は上記の中央構造線市之川フェーズの運動が著しい南北伸長で特徴付けられることを、和泉南帯に幅数100 m規模で発達するブーディン帯の存在で示した。さらに、Kubota et al. (2020)は重信川断層等の四国西部の活断層セグメントは右ステップで配置しているほか、露頭および試料スケールの複合面構造の解析から、重信川断層等はもともと北上がりの成分を持つ左横ずれ断層として形成されたことを明らかにした。重信川断層の活動は竹下(1993)により先砥部フェーズの中央構造線の活動とされていたが、Kubota et al. (2020)は断層ガウジのK-Ar年代測定により先砥部フェーズの年代が47-46 Maであることを明らかにした。
それでは何故、四国西部には南部相を含む和泉南帯が広く分布しているのであろうか。おそらく、北傾斜の中央構造線とほぼ垂直の重信川断層等に挟まれる下に凸の和泉層群の楔体(和泉南帯、近年その楔構造はMiyawaki and Sakaguchi, 2021が行った掘削によりさらに明確になった)は削剥が進んでいない四国西部では残されているが、四国東部では楔体の先端まで削剥が進み、和泉南帯はすべて取り去られたとする削剥レベルの違いで説明するのが最も合理的である。したがって、南部相の分布の解析は2つの断層が作る和泉南帯の3次元的構造および西南日本の差別的隆起・削剥を明らかにする上で重要である。
文献:橋爪ほか, 1993, 地質雑, 99, 755-758.; Kubota, Y. and Takeshita, T., 2008, Island Arc, 17, 129-151.; Kubota, Y. et al., 2020, Tectonics, 39, e2018TC005372.; Miyata, T., 1990, Geology, 18, 392-394.; Miyawaki, M. and Sakaguchi, A., 2021, Earth, Planets and Space, 73:194.; 西村ほか, 1980, 地質雑, 86, 341-351.; 西村, 1984, 地質雑, 90, 157-174.; 竹下, 1993, 地質学論集, No. 42, 225-244.; 竹下・海作, 1991, 日本地質学会第98年学術大会演旨, 322. 米谷・前島, 2013, 堆積学研究, 72, 27-30.
ところで、上述の通り四国東部では和泉層群の南半分が大部分失われているのに対し、四国西部では狭義の中央構造線の北側にもともと和泉層群の南部相であったと推測される部分がタービダイト砂岩泥岩互層中に挟まれる。南部相は竹下・海作(1991)によって発見され、和泉層群の主部を構成するタービダイト砂岩泥岩互層とは異なる、沿岸から浅海成相と考えられる礫岩、アルコース質砂岩、有機物を多く含む泥岩より構成され、北翼で不整合の直上に分布する和泉層群北縁相に類似する。四国西部以外に、南部相は淡路島の南西端(橋爪ほか, 1993)や紀伊半島の西部(米谷・前島, 2013)に小規模に分布する。一つの重要な事実は、四国西部の和泉層群は続成作用によって形成された沸石の分帯により北部(曹長石帯)と南部(方沸石帯)に区分され、もともと北部は南部に対して相対的に約1-2 km深い所で埋没続成作用を受け、東西方向の北上がりの重信川断層で接したと推定されていることである(西村ほか, 1980; 西村, 1984)。
西村(1984)は、重信川断層は幅広い破砕帯(最大幅500 m)を持ち、断層を境にして北部と南部の構造は連続しないとした。竹下(1993)は、重信川断層のすぐ北側に発達する小褶曲、および北部と南部の構造不連続をより詳しく記載したほか、南部に発達する北フェルゲンツの特異な褶曲を報告した。さらに、南部相が重信川断層の南側にのみ分布することも考慮し、重信川断層の北側を和泉北帯、南側を和泉南帯と命名した。また、Kubota and Takeshita (2008)は上記の中央構造線市之川フェーズの運動が著しい南北伸長で特徴付けられることを、和泉南帯に幅数100 m規模で発達するブーディン帯の存在で示した。さらに、Kubota et al. (2020)は重信川断層等の四国西部の活断層セグメントは右ステップで配置しているほか、露頭および試料スケールの複合面構造の解析から、重信川断層等はもともと北上がりの成分を持つ左横ずれ断層として形成されたことを明らかにした。重信川断層の活動は竹下(1993)により先砥部フェーズの中央構造線の活動とされていたが、Kubota et al. (2020)は断層ガウジのK-Ar年代測定により先砥部フェーズの年代が47-46 Maであることを明らかにした。
それでは何故、四国西部には南部相を含む和泉南帯が広く分布しているのであろうか。おそらく、北傾斜の中央構造線とほぼ垂直の重信川断層等に挟まれる下に凸の和泉層群の楔体(和泉南帯、近年その楔構造はMiyawaki and Sakaguchi, 2021が行った掘削によりさらに明確になった)は削剥が進んでいない四国西部では残されているが、四国東部では楔体の先端まで削剥が進み、和泉南帯はすべて取り去られたとする削剥レベルの違いで説明するのが最も合理的である。したがって、南部相の分布の解析は2つの断層が作る和泉南帯の3次元的構造および西南日本の差別的隆起・削剥を明らかにする上で重要である。
文献:橋爪ほか, 1993, 地質雑, 99, 755-758.; Kubota, Y. and Takeshita, T., 2008, Island Arc, 17, 129-151.; Kubota, Y. et al., 2020, Tectonics, 39, e2018TC005372.; Miyata, T., 1990, Geology, 18, 392-394.; Miyawaki, M. and Sakaguchi, A., 2021, Earth, Planets and Space, 73:194.; 西村ほか, 1980, 地質雑, 86, 341-351.; 西村, 1984, 地質雑, 90, 157-174.; 竹下, 1993, 地質学論集, No. 42, 225-244.; 竹下・海作, 1991, 日本地質学会第98年学術大会演旨, 322. 米谷・前島, 2013, 堆積学研究, 72, 27-30.
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