講演情報
[T15-P-29]岩手県北西端(脊梁域)浄法寺地域およびその近隣に分布する中新−鮮新世火山岩類の年代:とくに5-6Maの火山岩類について
*辻野 匠1 (1. 産業技術総合研究所・地質調査総合センター)
キーワード:
中新世、U-Pb年代、切通層、荒屋層、浄法寺
東北弧脊梁域は中新世以降,火山フロントの影響下にあり,各種年代・岩質の火山岩・火山砕屑物が積成している.岩相の類似あるいは変質による見た目の相異.前弧側と背弧側との地層の断絶もあり地層認定が困難な傾向にある.岩手県北西端の浄法寺地域もそのひとつで,それぞれの研究者が独自に地層名を命名しつつ,一方で既存の地層名を分布・性状を異にする地層に拡大的に当て嵌めるなど混乱が生じている.今回,本地域に分布する火山岩類の複数の地点・層準からジルコンFTまたはU-Pb年代を測定したので報告し,近接地域の層序や年代値と比較する.
本地域の層序は大略,下位より西黒沢階の変朽火山岩と海成泥岩からなる地層(佐比内層または瀬ノ沢層,夏坂層・関層),その上位にいわゆる黒鉱層準の酸性火山岩・泥岩(女平層及び大坊層・大王層または四ツ沢層),女川階の陸・湖成(一部海成)の凝灰岩・火山岩(田山層または切通層,清水頭層),9-8 Maころの堆積間隙を置いて(東部は海成の舌崎層が分布),女川階上部の陸・湖成の火山岩・凝灰岩(小豆川層,荒屋層または五日市層,浄法寺部層・和平部層*を含む),船川階の陸成火砕流(御返地層),主に中性〜基性の火山岩類(稲庭岳層,荒木田山安山岩,高倉層及び上斗米層*など)からなる(*は新称).
年代測定は㈱京都フィッショントラックに依頼した(別記ない限りジルコンのU-Pb年代で誤差は2σ).古い年代値から順に記す.≪α≫田子町花木の北に分布する,通産省[1]で切通層,北村総研[2]で大坊層とされたデイサイトから13.60±0.24 Ma,≪β≫田子町遠瀬舘の切通層または大坊層とされた地点の凝灰岩から12.4±0.2 Ma, ≪γ1≫田子町杉倉沢最上流部の切通層または関層[2]とされた地点の凝灰岩から5.8±0.1 Ma, ≪γ2≫田子市街南の熊原川衣更で御返地層とされた(ただし岩相は異なる)凝灰岩から5.67±0.08 Ma,≪γ3≫相米川上流の朝日奈岳南麓の四ツ沢層[1]あるいは清水頭層[2]とされた凝灰岩(ただし変質)からFT年代 5.6±0.4(1σ)Ma,≪δ≫十文字川の二戸市枇杷掛の御返地層の溶結凝灰岩から4.2±0.2 Ma,≪ε≫同市金田一川の野月平の凝灰岩(上斗米層*)から2.95±0.07 Maの年代を得た.対比される地層から想定される年代と測定値とで大きく違うものも見られた.たとえば切通層は12-10 Maころのカルデラに関係する地層と考えられてきたが,今回の結果は切通層は一様でないこと示す.清水頭層も同様で模式地では珪藻層序[2]から黒鉱層準の泥岩と舌崎層に挟まれた地層であるが,γ3は5.6Maと大きく若い.
このγ群の5-6 Maの年代は注意を引く.これらの凝灰岩は分布を異にしており広範囲に同時代の凝灰岩が分布していることを示す.既に工藤[3]が東隣の軽米地域から鳥谷層の火砕流堆積物のFT年代(1σ)として4.8±0.4 Ma及び5.8±0.5 Ma(それぞれ別の火砕流)を報告しており,今回の結果と合せると5-6Maにも活発な火山活動があったことがわかる.
得られた年代値を既存の同地域及び近隣で得られた年代値と比較する.年代値を比較する範囲は本地域とその西方地域で田子市街から浄法寺市街,安比高原,鹿角,十和田大湯で囲まれる.この範囲は通産省広域調査の豊富な年代測定データ[1]があり,その後の年代測定もある[4,5].図は本地域で公表された年代値を誤差も含めて確率密度曲線で表現したものである.なお,サンプリングバイアスや年代測定上の種々の不確かさを前提とするため山の高低の比較はできないが,際だつのは最近の年代値のシャープさである.前世紀の年代値ではたとえば瀬ノ沢層層準では2点分析があるものの,16Maを中心としたかすかな凸として表現されている.それでも10.7 Ma, 7-7.5 Ma,3 Maころに確率密度のピークがあることがわかる.こんかいのデータは従来年代の乏しかった13 Maころ(αβ),5-6 Maころ(γ群),4 Maころ(δ)にも火山活動があることを明らかにした.なお,εの3 Maの年代値は既存のピークに重なっているが,既存値は玄武岩または安山岩の噴出岩に対して今回は凝灰岩からであり,酸性の火山活動もあったことを示す.
[1]通産省(1985)昭和59年度広域調査報告書「八甲田地域」
[2]北村 信編(1986)新生代東北本州弧地質資料集
[3]辻野ほか(2018)一戸図幅,地調
[4]中嶋聖子ほか(1995)地質学論集,44,197–226
[5]安井光大・山元正継(2000) 岩石鉱物科学, 29, 74–84
本地域の層序は大略,下位より西黒沢階の変朽火山岩と海成泥岩からなる地層(佐比内層または瀬ノ沢層,夏坂層・関層),その上位にいわゆる黒鉱層準の酸性火山岩・泥岩(女平層及び大坊層・大王層または四ツ沢層),女川階の陸・湖成(一部海成)の凝灰岩・火山岩(田山層または切通層,清水頭層),9-8 Maころの堆積間隙を置いて(東部は海成の舌崎層が分布),女川階上部の陸・湖成の火山岩・凝灰岩(小豆川層,荒屋層または五日市層,浄法寺部層・和平部層*を含む),船川階の陸成火砕流(御返地層),主に中性〜基性の火山岩類(稲庭岳層,荒木田山安山岩,高倉層及び上斗米層*など)からなる(*は新称).
年代測定は㈱京都フィッショントラックに依頼した(別記ない限りジルコンのU-Pb年代で誤差は2σ).古い年代値から順に記す.≪α≫田子町花木の北に分布する,通産省[1]で切通層,北村総研[2]で大坊層とされたデイサイトから13.60±0.24 Ma,≪β≫田子町遠瀬舘の切通層または大坊層とされた地点の凝灰岩から12.4±0.2 Ma, ≪γ1≫田子町杉倉沢最上流部の切通層または関層[2]とされた地点の凝灰岩から5.8±0.1 Ma, ≪γ2≫田子市街南の熊原川衣更で御返地層とされた(ただし岩相は異なる)凝灰岩から5.67±0.08 Ma,≪γ3≫相米川上流の朝日奈岳南麓の四ツ沢層[1]あるいは清水頭層[2]とされた凝灰岩(ただし変質)からFT年代 5.6±0.4(1σ)Ma,≪δ≫十文字川の二戸市枇杷掛の御返地層の溶結凝灰岩から4.2±0.2 Ma,≪ε≫同市金田一川の野月平の凝灰岩(上斗米層*)から2.95±0.07 Maの年代を得た.対比される地層から想定される年代と測定値とで大きく違うものも見られた.たとえば切通層は12-10 Maころのカルデラに関係する地層と考えられてきたが,今回の結果は切通層は一様でないこと示す.清水頭層も同様で模式地では珪藻層序[2]から黒鉱層準の泥岩と舌崎層に挟まれた地層であるが,γ3は5.6Maと大きく若い.
このγ群の5-6 Maの年代は注意を引く.これらの凝灰岩は分布を異にしており広範囲に同時代の凝灰岩が分布していることを示す.既に工藤[3]が東隣の軽米地域から鳥谷層の火砕流堆積物のFT年代(1σ)として4.8±0.4 Ma及び5.8±0.5 Ma(それぞれ別の火砕流)を報告しており,今回の結果と合せると5-6Maにも活発な火山活動があったことがわかる.
得られた年代値を既存の同地域及び近隣で得られた年代値と比較する.年代値を比較する範囲は本地域とその西方地域で田子市街から浄法寺市街,安比高原,鹿角,十和田大湯で囲まれる.この範囲は通産省広域調査の豊富な年代測定データ[1]があり,その後の年代測定もある[4,5].図は本地域で公表された年代値を誤差も含めて確率密度曲線で表現したものである.なお,サンプリングバイアスや年代測定上の種々の不確かさを前提とするため山の高低の比較はできないが,際だつのは最近の年代値のシャープさである.前世紀の年代値ではたとえば瀬ノ沢層層準では2点分析があるものの,16Maを中心としたかすかな凸として表現されている.それでも10.7 Ma, 7-7.5 Ma,3 Maころに確率密度のピークがあることがわかる.こんかいのデータは従来年代の乏しかった13 Maころ(αβ),5-6 Maころ(γ群),4 Maころ(δ)にも火山活動があることを明らかにした.なお,εの3 Maの年代値は既存のピークに重なっているが,既存値は玄武岩または安山岩の噴出岩に対して今回は凝灰岩からであり,酸性の火山活動もあったことを示す.
[1]通産省(1985)昭和59年度広域調査報告書「八甲田地域」
[2]北村 信編(1986)新生代東北本州弧地質資料集
[3]辻野ほか(2018)一戸図幅,地調
[4]中嶋聖子ほか(1995)地質学論集,44,197–226
[5]安井光大・山元正継(2000) 岩石鉱物科学, 29, 74–84
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