講演情報
[T9-O-9]琉球弧中新世珪長質火成活動の時空間変遷から見えてきたフィリピン海プレートの北進
*谷 健一郎1、堤 之恭1、宇佐美 賢2 (1. 国立科学博物館、2. 沖縄県立博物館・美術館)
西南日本外帯の紀伊半島から九州にかけて分布する中期中新世の珪長質火成岩体群は、フィリピン海プレートの一部である、若くて熱い四国海盆が南海トラフ沿いに西南日本弧への沈み込みを開始したことによって形成されたとするモデルが主流である。
またその火成活動開始時期については系統的なジルコンU-Pb年代測定から、前駆的な活動が約15.6 Maに起こり、その後、島弧伸長方向に約600 km、島弧横断方向に約150 kmに達するような広域的な場で一斉に15.5 Maから13.5 Maの間に大規模な珪長質火成活動が起こったことが明らかになっている(Shinjoe et al., 2019 Geol. Mag.)。
さらには古地磁気学的な制約から、日本海拡大に伴う西南日本弧の時計回りの回転運動は約16 Maには完了していたとされている(星, 2018 地雑)ことや、伊豆・小笠原弧と本州弧の衝突開始もこのタイミングであること(箱守ほか, 2022 地質学会要旨)から、西南日本弧とフィリピン海プレートは、この時期には現在とほぼ同じ相対位置にあり、それ以降のフィリピン海プレートの北進に伴って、西南日本外帯では四国海盆の沈み込みに伴う珪長質火成活動が起こった可能性が高い。しかしそれ以前のフィリピン海プレートの運動については、古地磁気学的な制約も乏しく、よくわかっていない。
このため本研究では、琉球弧に分布する珪長質火成岩類に注目し、西南日本外帯の中期中新世珪長質火成活動との関係を検討することで、四国海盆の沈み込み開始以前のフィリピン海プレートの運動を復元することを目指している。
この目的のために渡名喜島・沖縄本島・沖永良部島・徳之島・奄美諸島・屋久島にそれぞれ分布する花崗岩・珪長質火山岩類について系統的なジルコンU-Pb年代測定を行い、下記のような結果が得られた。
渡名喜島:島北東部に分布する西森複合岩体の花崗岩類5試料から18.5 Ma前後の年代が得られた。また詳細な位置は不明ではあるが、島南部で採取された流紋岩からも18.3 Maの年代が得られた。一方で島北東部のあがり浜周辺に分布する安山岩質岩脈からは16.5 Maの年代が得られ、より若い時期の火成活動の存在も示唆される。
沖縄本島:本部半島や名護湾周辺には、石英斑岩や安山岩の岩脈群が北東-南西方向に平行に貫入している。先行研究において中期中新世のK-Ar年代やFT年代が報告されており、本研究においても安冨祖・名嘉真・源河・勝山の各岩体から、いずれも同時期の約10 Maの年代が得られた。
沖永良部島:島中央部に花崗岩体の存在が報告されているが、著しく風化と削剥が進んでおり、その詳しい分布域や産状を把握することは難しい。本研究では真砂化した試料とコアストーンの可能性が高い花崗閃緑岩転石の2試料から17 Maの加重平均年代が得られた。
徳之島:主に島中央部~北部にかけて花崗岩体が分布しており、川野・加藤(1989岩鉱)は岩石学・地球化学的特徴から与名間型・金見型・轟木型と島周縁部に分布する小岩体群に区分した。本研究では与名間型・金見型・小岩体からは約60 Maの年代が得られたのに対し、従来轟木型とされていた岩体には74 Ma前後の白亜紀花崗岩類と、それに貫入する16 Maの中期中新世の珪長質火山岩類が存在していることが明らかになった。
奄美諸島:奄美諸島を構成する大島・加計呂麻島・請島には花崗岩体が分布しており、川野ほか(1997岩鉱)は笠利岩体・一岩体・勝浦岩体・古仁屋岩体・安脚場岩体・請岩体に区分した。また先行研究では白亜紀・始新世・中新世などの幅広い年代が報告されてきた。本研究では笠利・一・古仁屋・安脚場岩体はいずれもほぼ同時期の61 Maに形成されたのに対し、請岩体は80 – 76 Maの白亜紀花崗岩類に59 Maの花崗岩質岩脈が貫入していることが明らかになった。さらには勝浦岩体からは約17 Maの中期中新世の年代が得られた。
屋久島:島の主要部を構成している屋久島花崗岩に加えて、島周辺部の付加体堆積物に貫入している小規模な珪長質岩脈が存在している。本研究では屋久島花崗岩から14.7 Ma、付加体に貫入する岩脈からも14.8 – 14.3 Maの年代が得られた。これらの年代は先行研究で報告されている屋久島花崗岩のジルコンU-Pb年代(Shinjoe et al., 2019など)と調和的である。
これらの結果により、琉球弧に分布する中期中新世の珪長質火成活動の開始時期は南部の渡名喜島で18.5 Ma、中部の沖永良部島・徳之島・奄美諸島で17 Ma前後、そして北部の屋久島で15 Ma前後と北に向かって順次若くなることが明らかになった。屋久島以北はShinjoe et al. (2019)が指摘するように、九州から紀伊半島に至る広域的なエリアで15.5 Ma以降に一斉に火成活動が始まっていることから、その直前にフィリピン海プレートが琉球弧の下に沈み込みながら北進した可能性が高い。
またその火成活動開始時期については系統的なジルコンU-Pb年代測定から、前駆的な活動が約15.6 Maに起こり、その後、島弧伸長方向に約600 km、島弧横断方向に約150 kmに達するような広域的な場で一斉に15.5 Maから13.5 Maの間に大規模な珪長質火成活動が起こったことが明らかになっている(Shinjoe et al., 2019 Geol. Mag.)。
さらには古地磁気学的な制約から、日本海拡大に伴う西南日本弧の時計回りの回転運動は約16 Maには完了していたとされている(星, 2018 地雑)ことや、伊豆・小笠原弧と本州弧の衝突開始もこのタイミングであること(箱守ほか, 2022 地質学会要旨)から、西南日本弧とフィリピン海プレートは、この時期には現在とほぼ同じ相対位置にあり、それ以降のフィリピン海プレートの北進に伴って、西南日本外帯では四国海盆の沈み込みに伴う珪長質火成活動が起こった可能性が高い。しかしそれ以前のフィリピン海プレートの運動については、古地磁気学的な制約も乏しく、よくわかっていない。
このため本研究では、琉球弧に分布する珪長質火成岩類に注目し、西南日本外帯の中期中新世珪長質火成活動との関係を検討することで、四国海盆の沈み込み開始以前のフィリピン海プレートの運動を復元することを目指している。
この目的のために渡名喜島・沖縄本島・沖永良部島・徳之島・奄美諸島・屋久島にそれぞれ分布する花崗岩・珪長質火山岩類について系統的なジルコンU-Pb年代測定を行い、下記のような結果が得られた。
渡名喜島:島北東部に分布する西森複合岩体の花崗岩類5試料から18.5 Ma前後の年代が得られた。また詳細な位置は不明ではあるが、島南部で採取された流紋岩からも18.3 Maの年代が得られた。一方で島北東部のあがり浜周辺に分布する安山岩質岩脈からは16.5 Maの年代が得られ、より若い時期の火成活動の存在も示唆される。
沖縄本島:本部半島や名護湾周辺には、石英斑岩や安山岩の岩脈群が北東-南西方向に平行に貫入している。先行研究において中期中新世のK-Ar年代やFT年代が報告されており、本研究においても安冨祖・名嘉真・源河・勝山の各岩体から、いずれも同時期の約10 Maの年代が得られた。
沖永良部島:島中央部に花崗岩体の存在が報告されているが、著しく風化と削剥が進んでおり、その詳しい分布域や産状を把握することは難しい。本研究では真砂化した試料とコアストーンの可能性が高い花崗閃緑岩転石の2試料から17 Maの加重平均年代が得られた。
徳之島:主に島中央部~北部にかけて花崗岩体が分布しており、川野・加藤(1989岩鉱)は岩石学・地球化学的特徴から与名間型・金見型・轟木型と島周縁部に分布する小岩体群に区分した。本研究では与名間型・金見型・小岩体からは約60 Maの年代が得られたのに対し、従来轟木型とされていた岩体には74 Ma前後の白亜紀花崗岩類と、それに貫入する16 Maの中期中新世の珪長質火山岩類が存在していることが明らかになった。
奄美諸島:奄美諸島を構成する大島・加計呂麻島・請島には花崗岩体が分布しており、川野ほか(1997岩鉱)は笠利岩体・一岩体・勝浦岩体・古仁屋岩体・安脚場岩体・請岩体に区分した。また先行研究では白亜紀・始新世・中新世などの幅広い年代が報告されてきた。本研究では笠利・一・古仁屋・安脚場岩体はいずれもほぼ同時期の61 Maに形成されたのに対し、請岩体は80 – 76 Maの白亜紀花崗岩類に59 Maの花崗岩質岩脈が貫入していることが明らかになった。さらには勝浦岩体からは約17 Maの中期中新世の年代が得られた。
屋久島:島の主要部を構成している屋久島花崗岩に加えて、島周辺部の付加体堆積物に貫入している小規模な珪長質岩脈が存在している。本研究では屋久島花崗岩から14.7 Ma、付加体に貫入する岩脈からも14.8 – 14.3 Maの年代が得られた。これらの年代は先行研究で報告されている屋久島花崗岩のジルコンU-Pb年代(Shinjoe et al., 2019など)と調和的である。
これらの結果により、琉球弧に分布する中期中新世の珪長質火成活動の開始時期は南部の渡名喜島で18.5 Ma、中部の沖永良部島・徳之島・奄美諸島で17 Ma前後、そして北部の屋久島で15 Ma前後と北に向かって順次若くなることが明らかになった。屋久島以北はShinjoe et al. (2019)が指摘するように、九州から紀伊半島に至る広域的なエリアで15.5 Ma以降に一斉に火成活動が始まっていることから、その直前にフィリピン海プレートが琉球弧の下に沈み込みながら北進した可能性が高い。
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