講演情報
[T3-O-14]紀伊半島の漁村集落の地形・地質規制
*藤岡 換太郎1、小野 映介2、加納 靖之3、松田 法子4 (1. 静岡大学、2. 駒澤大学、3. 東京大学、4. 京都府立大学)
キーワード:
紀伊半島、三波川変成岩帯、秩父帯、四万十帯、南海トラフ
はじめに紀伊半島の漁村集落の成り立ちを知るために、半島の西海岸、南海岸、東海岸、島嶼に渡って調査した。その目的は漁村がなぜそこに立地したのかを地形や地質、地震・津波などから考えることであった。調査地域調査した場所は和歌山から反時計回りに雑賀崎、塩津、矢櫃、三尾、日置、串本、太地、勝浦、新宮、九鬼、尾鷲、紀伊長島、鳥羽沖の神島、答志島、菅島の15か所であった。これらの地域や島の地形、地質、地震・津波などの項目を検討しでた。地域は西海岸、南海岸、東海岸、島嶼という区分以外に湾の形や集落のある場所が平野か斜面かなどによっても区分できる。集落は地形に起因して発達してきたと考えられる。集落調査の結果以下にいくつかの地域でのメモを示した。雑賀崎地域。雑賀崎漁港は和歌浦湾の中にあって南西に口を開けた漁港で、津波の入ってくる方向に直交するため津波の被害は少ないと考えられる。漁港の集落の形態は葉っぱが三枚の「三つ葉葵」のようで、漁港入口に急崖(断層)、西、北、東は山脈に囲まれた円形の地形を呈する。段丘の発達が悪いが地震断層によって隆起した海食台がある。これらは南海トラフの地震による。標高53mに平坦面がありホテルが建つ、この平坦面は雑賀崎を取り巻いていてS面の可能性がある、住居の分布はこれらの谷の分布に支配されて北西―南東ないしは南北方向である三尾地域。三尾は西の大三尾と東の小三尾とに分かれている。大三尾は比較的平坦な土地で、その東には南北性の断層、南にも3段の小断層がある。段丘の発達が悪いが地震断層によって隆起した海食台がある。住居の分布はこれらの海食台の分布に支配されている。小三尾は地滑りによってできた段々畑のような斜面の平坦面に等高線に沿って住居が分布している。太地と勝浦地域。この地域の地形は地震による隆起が激しく段丘が形成されている。地震による崩壊がずっとあって巨礫(巨岩)が海岸にごろごろしている。集落はその崖錐扇状地と段丘に分布している。(1)新宮地域。集落は熊野川の河口の三角州に存在。全体が平坦で集落は熊野川の北(三重県)と南(和歌山県)とに分かれる。集落は砂丘の発達する東側から碁盤の目のように分布。鈴島にはヤッコカンザシの破片が見られ隆起の様子がわかる(2)尾鷲地域。紀伊半島東側の南北に伸びたリアス式の湾(南北幅約2㎞、東西約4㎞)、湾の西側にやや広い沖積面(奥行約1.5㎞)があって集落の大部分はここに立地。南北と西には高いところ(標高400~500m程度)がある(花崗岩)(3)。地形はこの高い山から湾に向けて下がっていく。西側以外は沖積平野がきわめて狭いのが特徴。山地の前や沖積平野の中の低い丘陵は流山である。南北の山地には斜面崩壊の跡が多い(南側の方が大規模)、土石流や岩雪崩(岩屑雪崩)が続発したと考えられる。段丘の発達は見られなかった答志島地域。島の形は平行四辺形で、東は断層によって切られている。漁村は東海岸の答志、和具と西の湾 桃取に発達。南に2つのブロードな湾があるが人は住まない。分水界は南に偏る。北西―南東方向の断層と北東―南西方向のMTLが見られる。結果と考察15の集落の基盤の地質は、北から三波川変成岩帯、秩父帯、四万十帯(白亜紀と古第三紀の付加体)熊野酸性岩の影響を受けている地域とに分かれる。半島全体にEW性の付加体の境界をなす断層にも影響されている。雑賀崎、塩津、神島は三波川帯、矢櫃、三尾、菅島、答志島は秩父帯、日置、串本、太地、勝浦、新宮、九鬼、尾鷲、紀伊長島は四万十帯で、そのうち熊野酸性岩の影響を受けているのは新宮、九鬼、尾鷲である。紀伊半島の漁村集落の分布形態は地滑りによる段々畑的なもの(三尾)、スリバチのような円形のもの(矢櫃)、手のひらのように数本の川に沿って分布するもの(雑賀崎)、碁盤の目に沿って分布するもの(平野、日置、串本、新宮、紀伊長島)、崩壊斜面の平坦面(太地、勝浦)などに分けられる。これらの地形を形成しているのは南海トラフに起こった地震による隆起やリアス式海岸の侵食、地震などによる地滑りや崩壊現象であり、先人たちはその結果を苦慮して集落を形成していったものと考えられる。集落の中心は寺や神社であることが多く、一番高いところまたは基盤がしっかりした所に建てられているのが特徴であった。地震や津波の影響を軽減するためであろうと思われる。紀伊半島の漁村はその地域の地形に合わせて発展してきたことが読み取れる。 文献(1)米倉伸之、1968、地学雑誌、77、1-23.(2)宍倉正展ほか、2008、活断層・古地震研究報告、8、267-280.(3)川上裕・星博幸、2007、地質学雑誌、113、296-309
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